言えば寄っていくものとして

 

普段から、「私はこういう人間である」とか、「私はこういう考えを持つ者である」とか、自分のことや興味を持っているようなことを、わざわざ口にする機会は少ないように思います。

ましてや、生活や人生において「こうしていきたい!」という話題は、あまり会話の俎上には現れてこないものでもあります。

家を建てたい、ステキな異性に出会いたい、会社を興したいというようなものから、どこそこに旅行したい、何々を食べたいというものまで、個人的なものでもきっと多種多様にあるはずですが、不思議とそういうものはあまり出てこない気がします。

これは、奥ゆかしい気質を傾向として持っている日本人特有のものなのか、あるいは、人というものは総じてそういうものなのかは、議論を俟たないところなのかもしれません。

願望にしても、言わないでいるよりかは言った方が良いと言われるのは、「叶う」という字の成り立ちからして"何度も口にする"ことの大切さを説いているわけです。

ちなみに、漢字圏の発想なのか日本人ならではの発想なのかは定かではありませんが、数字の"十"というのは、"たくさん"や"全部"という意味合いを含むものと考えられています。

そうは言っても、「言う、すなわち叶う」わけではないことには注意が必要ですし、内容やその規模によっては、もしかすると多大な時間や労力を要するといったことがあるかもしれません。

ただ、自分で口にして言うということは、言うに至るまで自分の中で気持ちや考えの焦点が絞られている&固まっているということになりますし、それを聞く周囲の人も、なるほどこの人はそういうことを思っていたり、これから目指していたりするのかと知ることになります。

自分で懸命に取り組むことを当然のはじまりとして、口頭での励ましをもらったり、時には具体的な手助けをしてもらったりして、だからこそ、思ったことが結構な割合・確率で現実のものとなると考えられます。

他にも、脳科学的なアプローチや、おそらく心理学的なアプローチといったものからも解き明かせることは多い気もしますが、とにかく何かを願ったり望んだりするのであれば、いろいろ多く言っていくのが良いのかなと思います。

果たして、願うものや叶えたいものは、自分の場合では何だろうなというのを、日頃から考えているわけですが、なかなか明確には言うのは難しいなというのもあります。

身近なところでは、自動販売機で"当たり"が出ると良いなとか、電車で座れると良いなというのはありますし、もう少し大きなところでは抽象的思弁を語り合える人と(「辱知の栄を賜る」ほどに)知り合いたいというものはあります。

もう少しくだけて言えば、イチャイチャできる異性と知り合いたいのもありますが、これはまた機会を改めて取り上げたいことのひとつです☆