あわいにたたずむように

 

"あわい"というのは「間(あいだ)」という漢字を使うのですね、しっかり調べてみたのはこれが初めてかもしれません。

境界線、狭間、境目など、言い方は多くあるでしょうが、共通して言えるのは「間(あいだ)」という漢字が示すように、何かの途中とか、中間地点というような意味合いになる気がします。

自分の思い込みとして、グラデーションという意味合いでの「淡い(あわい)」なのかと思っていたわけですが、そういう、明確にできない"あのあたり"ということも言えるのかもしれません。

そういう、白か黒か決めきれず、何とも言えない"あわい"、自分を取り巻く状況や気持ちにしても、今はそこにいるのだなというのを強く感じます。

普段から、昼と夜、表と裏、右と左など、物事を対比して考えるのが自分の中の傾向としてあるのですが、そういう考えを持っているということだけでなく、自分自身がそういうところに身を置いているとか、身を寄せるようになっていることも見受けられます。

どのように考えるかによって、どういう現実を引き起こすのかという観点において、ここでは部分と全体のところでの平仄はあっているわけです。

現実において、今がどうであるのかというところと、今後どうしていこうかなというところで、ここでも現在と未来という対比が行われているとして、「歩哨(センチネル)」という発想がひとつにあります。

「防人(さきもり)」という言い方でも良くて、字義的には自由な解釈を含んでしまうのですが、どちらからも「あちら」から来るものから「こちら」を守るという雰囲気を感じ取ってもらえたら幸いです。

そして、自分のいる場所の比喩として、海に対して陸側にある灯台(か、それに類するもの)を理想のひとつとして連想していました。

ただ、今の感覚で言えば、一目見て違いがわかる海と陸とを隔てるところやその近くにいるのではなく、たとえば、地続きの陸のある地点と別の地点の「間(あいだ)」にいると言った方が良いのではないかという気がします。

物事は総じて、微妙な均衡(バランス)によって成り立っている気がしますし、そういうものをどれだけ感じ取れるかという意識の傾け方がまた重要な気がします。

何かの拍子に崩れてしまうのでは好ましくなく、事前に防ぐとか、普段からの点検を怠らないというのが大切になってくるので、一層、自分自身はそこにいるのが良いのかという気がしてなりません☆