いくつも思い浮かぶように

 

たとえば「一を聞いて十を知る」ように、

果たして、ひとつを聞いた時にどれくらい出せるのか、

それを元に発想をどれだけ広げられるのかは、

まずは日頃の心がけによるところが大きいのではないでしょうか。

 

先日、さだまさしさんに「檸檬」という曲があるのを知った時、

この楽曲をしっかり聞くことにはじまり、

梶井基次郎の「檸檬」を読んでみようかしら、

さだまさしさんの他の楽曲を聴いてみようとか、

この声の出し方は、HR/HMの歌唱にあてはまるのか、

ギターの音色はどのようなものがあるのか、

落語の影響も受けたMCは面白いので、落語を聞いてみようとか、

ひとつの発想(インプット)があった時に、

少なくとも3つは発想を広げよう(アウトプット)と思っていて、

できれば、多いに越したことはないように思います。

 

こういうのって、別にかしこまって考える必要もなく、

気に入った服があった時に、これはあの服と合わせてみよう、

こういうアクセサリーやカバンと合わせると良いかしらなど、

同じカテゴリーの中でもできることだなと思います。

 

そして、興味や関心の幅が広がっていくほどに、

結びつけられる点がどんどん増えていくために、

何かを知り得た時に、かなり瞬時にそれができるし、

より良い発想が出てくるような気がします。

 

こういうものは、どれが正解で、どれが良くないとか、

そういう価値判断の良否みたいなものは考えず、

自分が思うことを思うように考えるのが良いでしょう。

 

もしも、仕事や表現として、多くの人に知ってもらうためには、

より精度の高いものや、要望に応えるようなものを出すだけですが、

根本的にやっていることに、さほど差はない気はします。

 

あるいは、同じことに興味・関心を持って、

それを突き詰めたい、追求してみたいとなれば、

自分でメモ書きをする、人に話す、ブログで発信する、

そして、それらを繰り返していくうちに、

もっと詳しく調べるだろうし、自然にも詳しくなることでしょう。

 

そうすれば、それこそ落語のネタのように、

自分の話のできることがひとつ、ふたつと増えて、

講演依頼がくるとか、本の出版につながるとか、

思いも寄らない展開もあるのかもしれません。

 

最初は小さな一歩でも、踏み出していけば世界は広く、

それだけに、自由自在に駆け抜けていきたいものです☆