どれくらいの均衡を保つ

 

人との関わりを思う時、自分と相手とのやり取りにおいて、

どういうバランスが、最も良いものかと思うものです。

 

自分と誰かの2人において、会話や表情のやり取りは生まれ、

それが3人ともなれば、それはもう社会であるという考えがあって、

意見を出し合い、気持ちもぶつけ合うことになっていきます。

 

自分の意見や気持ちを出すことは、その一員として必要なことですが、

我を押し通すほどに出し過ぎても、衝突は生まれてしまうでしょうし、

逆に、何も出さないほどに押し殺しても、何の意味もないわけです。

 

これを何にたとえると、その醍醐味や困難さの一端が、

少なくとも自分にとってわかりやすいのかで言えば、

ロック・バンドにおけるアレンジの過程が、

そのひとつの例え方だなと思っています。

 

たとえば、歌のメロディーを引き立たせようとしてみれば、

バックの演奏はそのメロディーにあたらないようにしようとか、

ギターでは、リズムを重視してリフをユニゾンで厚みを出そう、

ベースはルートで攻めてみようとなることでしょう。

 

あるいは、バンドとしての魅力を出そうと思えば、

音数は多くしても、ドラムのキックに合わせたリズムにして、

ベースはコード・トーンを駆使したメロディーにしよう、

そうなると、ギターは単音でシンプルにしてみようとか、

あれをこうして、これをああしようとなってくるものです。

 

これはかなり難解なパズルを組み合わせるようなもので、

アレンジは、ある意味では終わりのない作業ともなっていきそうです。

 

音楽ということで言えば、リズムとメロディーの、

タテとヨコの動きがあって、それに各パートの重なりがあるので、

全方位的にピタッとはまるように考えていく必要があります。

 

ロック・バンドにおいては、まだパートが分かれていて、

どれを引き立てるか、どれを前面に出すのかによって、

アレンジの向かう方向も合意が取れていくように思います。

 

そして、これを人間関係に置き換えてみると、

誰が主張し、誰が受け止めて調整するとか、

出会ってすぐにわかるようなものでもないので、

少しずつの手探り状態になることは明らかな気がします。

 

ある程度は、時間が経たないとわからないことも多いし、

仲の深まりにしても、すぐにどうというわけでもないですが、

少なくも、自分はこう思うというのがあれば、

小出しにでも出していくことが良いなと思う今日この頃です☆