お互いに補完するもの

 

小説や漫画というものは、もちろん例外はあるものの、基本的には作者ひとりで物語や内容を構成して、それを活字や絵にして表すことができるものです。

そして、読者は、その表現したものを受け取って、没頭するようにして楽しめば良いわけで、そこでは余計な注釈やガイドはあまり必要としないことになります。

また、演劇の舞台やスポーツの試合では、高い水準でのパフォーマンスを披露するとか力量を発揮するとかすれば良いわけで、それ以外に説明を施すような機会が必ずなければいけないということはありません。

もちろん、こういう作品にしたい、こういう受け取り方や解釈をしてほしいという思いもありますし、受け手がそれにとりかかるのが最初であるとか、さほど慣れていないようであれば、いくらか楽しむための手がかりがあった方が助かるという場合があります。

ここからは、ひとつ小説を例に取り上げながら考えていきたいわけですが、小説における作者と物語という関係が、決して完全に切り離せるようなものでなく、実際にはお互いに支え合うようなものであると考えられるような気もします。

ひとつの物語としてみれば、その中での登場人物や出来事が、ある程度の整合性や起承転結の展開を有しながら大きくまとまっていれば、それで十分と言えるでしょう。

そして、物語において、作者というのは神の視座に立っているとひとつには考えられていて(このあたりの論考は別もので、だいぶ複雑なものになるはずのもの)、しかし、作者自身であったり、その時々の作者の思いや状況であったりするものが、物語の起伏に少なからず影響を与えていると考えることもできるはずです。

作品を発表する時でも構わないし、"まえがき"や"あとがき"で述べるのでも良くて、そういう物語ができあがるに至る経緯や、そこに込められているだろう思いのようなものを、補足するようにして何らか表しておくというのも良いように思います。

そして、ひとつの作品単位だけでなく、何作も出しているような場合であれば、前後の作品とも比較しながら、それぞれの作品の持つ意味合いのようなものにまで思いを広げるというのが良さそうです。

個人的には、インタビューや対談を読むのも好みであって、作品そのものを楽しむことに加えて、作者の人となりや胸の内を知るというのも大切にしています。

それが、作品に表れている雰囲気と似通っている場合もあれば、こちらが持っている印象とは異なるような場合もあって、作品をより深く知ることにかなり有効であることも多いわけです。

感覚的には、虚実入り混じりながら推し進める、水と油を無理なく上手に混ぜるようなものなのかなと思います☆