話すことについての有限性

 

たとえば、自動車=車に関して、身近な人たちとの会話では、「あの車種が良い」とか「ハイブリットカーにしようかしら」みたいな、"買う/買わない"という行動が伴うものもあれば、見た目や乗り心地がどうかという感覚のものが、比率としては多いように思います。

そして、それとは別に、あまり話題にならないようなものもあって、そのひとつに"燃費について"語り合うという機会はそれほど多くはないのでしょうか。

ひとつのトピックについて、取り上げられる話題とそうでないものがあるのは、いくつもの要素や観点があるので推してしかるべしということもありますし、興味や共感を覚えるかどうかという切り口で無意識のうちに選別されているということもあるかもしれません。

会話自体、内容も大切ですが、会話が成立しているというその事実自体が意味を持つ場合もあるので、特に何を話すということでなくその時々の丁々発止で良いではないかという考え方もできることでしょう。

また、会話においての言葉遣いというものも、こういう文章を綴る場合とはいささか趣を異にして、会話では伝わりやすいようにできるだけ平易に言うことを心がけると良いなと思っています。

きっと、「転轍点(てんてつてん)」のような語句は、普段の会話にはほとんど出てこないもののように思いますし、この語句の持つ味わい深さもなかなか伝わりにくいかもしれません。

人によっては、そんな言葉があるのかもそうですし、一体、どのような場面で使われるのがふさわしいのか、それすら見当がつかないぞなんて思う人もいるかもしれません。

自分自身において、そういう会話においても使ってみたい言葉のいくつかはあるものですが、話し言葉では難しいことをいかに平易に言うかということを一部で心がけている身にあっては、こういうところの文中で使うに留めておくのが良さそうです。

会話の内容も言葉遣いも、普段に必要なことは過度な装飾なしで差し出していけば良いし、たとえそうでないものがあるとしても、スイッチを切り替えるようにして大切にしていけば良いだけのことです。

あまりお目に関われない、しかし、世の真理であるとか有効な知見であるようなものは、せっせと自分の内側で溜めていったり、掘り下げていったりすることを続けていけば、やがて何かの役に立つということもあるでしょう。

そのために、何かを考えるとか、あるいは思うようなことがあれば、その一端であっても記憶に留めたり、書き留めておいたりしていくに越したことはないように思うのです☆