思考の流れに寄り添って

 

風の流れや水の流れのように、見えるかどうかは別として「流れ」を意識してみるのが、発想のひとつとして良いとされています。

時間も絶えず流れているように、留まり続けることは滞ることにつながっているのかもしれません。

あるいは、体内の血液のようにサラサラと流れているのが良くて、ドロドロで流れがスムーズでないのは改善が必要なことに似ているとも言えそうです。

そこでは、あくまで流れるものとして、流れていること自体に重きを置くのが大切であるように思います。

英語に"TRAIN OF THOUGHT"という表現があって、「思考の流れ」と訳すべきような言い方・表現があります。

思考を、"思うこと"と"考えること"に分けてみると、"思う"に比べて"考える"ことは、ひとつひとつ論理や段階を確かめながら進むような特徴がある気がします。

そこでは、どれくらい妥当であるとか、どれくらい有効であるかとか、無数の判断をこなしていくことが求められているとも言えるかもしれません。

一定の水準を満たさないようなものは、早い段階で見切りをつけて採用しないことも、きっと多いはずです。

しかし、この場合では、そういう判断を一旦脇に置いておいて、どれくらい発想を自由に思い浮かべることができるか、そちらに注力するのが良いでしょう。

水道の蛇口をどれくらいひねるのが最適かだなんて、眉間にしわ寄せて考え込むようなことを、まずはそんなことを思わずに、蛇口をひねる、そして、水を流すという感覚になるのが大切です。

アイディアを出す時に、それがひとまとまりのものでなくても、あるいは、どれほど取るに足らないようなものでも、とにかく多く出していくと、良いアイディアの原石が集まってくるものです。

どれを選別し、磨きをかけていくかは次の段階のことであるし、それなりの数の原石がないことにはキラリと光るものは決して現れることはないでしょう。

肩の力を抜いて、深い呼吸を意識しながら待つ、そこで脳裏に浮かんでくるものをひとつ、ふたつと手繰り寄せるようなものでしょうか、または、心の奥底から浮かんでくるものを見逃さないようにすくい取るような姿勢が極めて大切です。

川の流れをせき止めることのないように、思考の流れもいかにスムースに流すことができるのか、無用な力を無理にかけることはないのです。

柳が風を受けてしなるように、流れに身を任せる、きっとそういう態度も必要なのでしょう☆