かつての名残り

 

このところ、当たり前のことと言えば当たり前の、そういうことを改めて思っていました。

そのひとつとして、かつての同級生が、どこかの空の下、同じ年齢でそれを重ねているということ。

もう会わなくなってかなり久しいけれど、今の自分の年齢がいくつになっている一方、あの人は一体いくつになる?

それは、特に高校までのことであれば、だいたい同じ年齢になるはずなので、一年を通して考えてみるまでもなく、少なくとも同年代であることは言えるでしょう。

それぞれに歩む歩み方は異なるだろうけれど、同じ年齢で日々を送っていることを思うと、自分にとってもそういう歩み方があったのかとふと考えることにもつながってくるものです。

相通じるところもあるけれど、異なるところも多くあるわけで、似て非なることの不思議さをそれとなく思うものです。

今のところ、そんな彼ら・彼女らと再会したところでどうにもならないだろうけれど、そっと無病息災であれと願う、それくらいはできるものだなと思っていますし、そういう思いは持っていたいものです。

それでも、何があるのかわからない、思っている以上に"良いこと"も起こるのがこの世のひとつの真理であるので、思わぬところでばったりと会うこともあるでしょう。

それはその時になってみれば考えれば良いことで、一旦は脇に置いておけば良いように思います。

あるいは、「縁」とか「友だち」とかは、お互いの普段の心がけや態度からはじまっていくものです。

出会いはちょっとした偶然なのかもしれないけれど、それを偶然に留めるだけでなく、次につなげるとか、長く関わるとかしないことには何にもなることはないかもしれません。

具体的には、電話番号にはじまる連絡先を知らないことには、約束を取りつけることもできないものですから、気持ちのところとは切り離して行うべきことになります。

最近では、FacebookInstagramなど、"実名・顔出し"のメディアもあるので、そこから連絡を取るということも考えられます。

出会ってすぐに意気投合することもありますが、ある程度の年数を経ないとわからないこともあるものです。

そして、こういうものは自分で力んで成り立たせるようなものでなくて、紙飛行機のそっと風に乗るようなのがひとつのコツでもあって、つながる時にはつながるし、そうでない時にはそうであるくらいに構えておくと良いように思います。

時には、積極的にドアをノックする、そういうことも必要な場面はあるものです☆