先んじて、今は何を思っているのか、
頭や心の中を見回すことはありますが、
ひたすらの余白を前に、さて何が出るのか、
自分自身を試すようにやるのも一興です。
それは、水面に一滴垂れれば、波紋が広がる、
その最初の一滴を待つことにも似ているわけで、
比喩的にとらえることは、ひとつの手がかりとなります。
こうして何か言葉を置いていけば、
発想が、ひとつふたつと出てくるもので、
それができれば、加速度的に進んでいくものです。
自転車の漕ぎ出しが、最も力を使うように、
何かをはじめることの労力は計りしれず、
しかし、逆説的には、さっさと自転車にまたがって、
最初のひと踏みをすれば良いということになります。
そういうことって、往々にしてあって、
画期的なものが登場する背景に、少し似ています。
最初の一人、「言いだしっぺ」が他に影響を与え得るので、
その先頭に立つことを思う人は、きっと多いことでしょう。
特許なんかもそうですが、最初のひとりが、
その権利を得て、利益を得ることもできるわけで、
多くのひとが、我先にと推し進めるのも道理です。
そういうしのぎを削るような緊張感もありながら、
自分自身の、気力や体力との戦いも一方にはあって、
それでも、立ち向かう姿勢が好ましく思います。
一番でなければいけないというのは、
決して押し付けでも、何でもなくて、
自分が恩恵を余すところなく享受したいのなら、
自然と、一番を目指すのが良いことに気がつきます。
おそらくは、もっと起源という意味での「ゼロ」番、
これが有無を言わせず、最高なのかもしれません。
「ゼロ」って、他を寄せ付けない孤高の存在のように見えて、
そこに何をかけても、打ち返すように「ゼロ」でしかありませんが、
桁の位を並べるということでは、他を押し上げるような、
ある種の、優しさもあるような気がします。
この、何気なくしている「ゼロ」の話ではありますが、
ここに行き着くまでは、まさに野放図のごとく、
言葉を並び立ててきている、その裏側のところで、
自分自身が驚くような、密接なつながりがあります。
ここで、それを明らかにする、それもまた潔いものの、
急に、多くを語らないというのも乙なものです。
あるいは、こっそり耳打ちしてくれるのあれば、
その正誤をお伝えすることはできるので、
私の耳のあるところへ、そっと口を寄せてもらえれば幸いです☆