魂の似る様子

 

論理的な思考の仕方が似ているだけでなく、

それをも含む感覚が似ている人と出会う時、

心と心が共鳴するような感覚になることがあります。

 

「魂の相似形」というのは大げさかもしれませんが、

見た目や出自、そういうものが関係なく、

一体となって融け合うような、意識レベルでの交歓という、

まことに、精神世界での出来事が起こるわけです。

 

心、精神、意識など、言い方はいろいろあっても、

目に見えたり、手に触れたりするものではなく、

それだけに本質的なものであり、大切なものだなと思います。

 

それは、思考、感情とも少し異なる位相を持つもの、

なかなか説明しづらいし、わかる人も少ないかもしれません。

 

自分自身、別段、哲学の道を突き進んでいるわけでもなく、

精神の癒しを生業にしているわけでもない、

一介の流浪人(るろうに)ではあるのですが、

自分なりの修身というのか、修行というのか、

何かしら営みとして積み続けているのはあります。

 

学術的な派閥やどの宗教に属するのかというと、

現実的な枠組み、制約を持ってしまうので、

あくまで、自分の興味・関心の赴くままになるので、

言葉、用語の使い方の妥当性は保証しかねます。

 

そういうもの自体、使う人や使う文脈によって、

多少の"揺らぎ"はあるので、致し方ないものと思って、

寛容に受け取ってもらえると、筆がスムーズに進みます。

 

果たして、自分の肉体性、精神性を越えて、

他の人や生きる世界とつながることができるのか、

それがまた、実際的な物事さえも包み込むようなこと、

ある種の「超克」ということに意識が傾いてしまえば、

ますます混迷を極めそうなので、手前に引き戻しておきます。

 

極めて簡潔に言ってしまえば、自分の心の中にあるもの、

自分の目指したいものが、「何か」あるのなら、

それを声に出す、人に伝えることによって、

自分に似た相手、共に成長を促せるような相手に巡り会える、

それ自体を思うのは、とても素晴らしいということです。

 

その思いは、途切れないように、絶えないようにして、

この今を、これからを過ごしていきたいと思います。

 

なかなか輪郭をとらえがたい領域の話ではありますが、

何か、考える、感じるきっかけのひとつとなれば幸いです☆