刺青でも入れ墨でも、タトゥー(TATTOO)でも、
呼び方は何であっても構わないのですが、
巷で見る機会が少し多くなってきた気がします。
日本の、元々の文化として広まってきたのもあるでしょうし、
海外からの観光客が、日増しに増えてきているのも、
近年の傾向や背景としてあるのかもしれません。
それでも、国や文化によって、意味合いが異なりますし、
自分の肉体に負担をかけるという意味でも、
それにまた、青少年への影響なんかもあるし、
決して手放しで礼賛できないものであることは、
重々に承知しているので、まずはそれを断っておきます。
ただ、それでも刻み込んでいる人は、
どのような精神性、気概でいるのかなと、
その向こうにあるものに思いを馳せてみることは、
時に、大切なことなのかなと思います。
個人的には、音楽やファッションと地続きのものとして、
おそらく目にしていることは多い方だと思うし、
むしろ見慣れている方だとも思うので、
少し考察してみるのも良いのかなと思った次第です。
絵柄やデザインということでは、
和彫り、トライバル、濃淡を活かしたグレー、
あるいは、何かのキャラクターや文字など、
身体はキャンバスかというほどに自由で、
大きさもワンポイントから全身まで、
やり方は多種多様に用意されています。
それでも、何かしらを刻むということでは
日常生活では、覚悟と責任が伴うもので、
身近な、わかりやすいところでは、
公衆浴場や市民プールは行けないことになります。
これも、海外からの観光客の増大によって、
人々の意識や条例のような規制も、
少しずつ変わっていく可能性はあるにはあります。
「文化」の語源が"心を耕すこと"でもあるので、
この、身体に刻み込むことと遠からず近からず、
何か共通することがあるような気がします。
心許せる仲間たちと同じデザインのものを入れたり、
自分の、並々ならぬ決心や決意を忘れないようにしたり、
その人の心の有り様が、その皮膚の上に表されるという、
ある種の、心の投影なのかなとも思います。
自分自身は、性格的に飽き性の一面もあるので、
デザインに飽きたらどうしようと先行して思うので、
今のところは、本物は入れない予定で、
シールを貼ったり、マジックで書くくらいで、
表面的に、ほんのりと楽しむくらいでしょうね。
それでも、イギリスの港町にいそうなおじいちゃんの、
年季が入って、少し褪せて色落ちしているようなのは、
人生の渋み、哀愁が感じられて、少し憧れます。
あとは、皮膚の下に刻み込むものなので、
その痛さに耐えられるかどうかですね☆