じっくりじわじわ

 

TikTokInstagramなど、最近のSNSサービスでは、短い時間での動画投稿が多く出回っていて、瞬間的に何かを楽しむということが定着しています。

そこでは、勢いやインパクト重視、ある意味では、過激に行き過ぎてしまうこともあるかもしれません。

そういうもののうち、気になったものを拾い上げて、刺激に対する欲求を満たしているとも言えるでしょう。

確かに、そういうものの楽しみ方はいくらかわかるものの、細かなものをつまみ食いをしているようなことで、果たして自らの欲求は満たされるものかと疑問に思ってしまいます。

色とりどり、味わいも千差万別の飴やガムをいくら口にしたところで、満腹とはならないように、それとは切り離して考えることが必要であるように思います。

個人的には、もっと深い感動、もっと本質的な感動を得られることを好みますし、また、そういうものを追っているので、今の流行に対しては、遠い位置を保っていると言えるでしょう。

では、一体どういうものが、自分の欲求を、より満たすものであるのか、それは次のようなものが例として挙げられます。

たとえば、厚い本を一冊読み切るとか、映画を一本見終えるとか、それなりのページや時間を費やすことで得られる快感や喜びというものが、そこにはあるように思えてならないということです。

音楽も、一曲ごとに楽しむばかりではなく、アルバム一枚を通して聴くとか、ひとつのバンドやひとりのアーティストの、2時間くらいのライブを堪能するとか、そういう長さをもって楽しむこともあるように思います。

何事も急ぎ足で、拙速に流れる傾向がありますが、それでは一過性ものばかりを手にしているということになって、後に何が残ろうかという気がします。

もう少し手応えのあるものというか、確かにそれを見たという、自分のひとまとまりの体験として得られるものが良いのかもしれません。

先の、食べ物のように置き換えてみれば、コース料理を味わうとか、大きな皿に盛り付けられたカレーライスを食べきるとか、そういうことが当てはまるように思います。

また、スコールやゲリラ豪雨のように、急に降りしきる雨ではなくて、しとしとと降りながら田畑や木々を潤す、そういう慈雨のようなものであってほしいと思うものです☆