歴史を紡ぐ

 

自分の目指すことを思って、それをかなえようとして、日々格闘を続ける、それが人の営みの概ねのところであるように思います。

これまでに思ったことを省みたり、場合によっては後悔の念に駆られるということもあったりするかもしれません。

そういうことを踏まえて、自分はこうなりたい、こういうものを目指すのだということは思っても、これから、自分なりの歴史を築いていくぞとはあまり思わないものです。

それなりの野心がふつふつとわき上がり、歴史に名を刻みたい、あるいは、名を挙げる=有名になりたいという欲求があるとしても、その思いが強いほどに、かえって遠ざかってしまう気がします。

これは、勉強するぞと意気込んで、鼻息荒くいるより、英単語のひとつ、漢字のひとつでも覚えた方が、よほど勉強していることに似ています。

きっと歴史というものも、その都度直面する事柄に対応し、それを繰り返し続けていくうちに、ひとつの流れができるように、懸命に走っているうちに、ふと振り返ってみると浮かび上がる道筋のようなものなのかもしれません。

良いのそうでないのと限らず、自分の歩んできた道のりがそのまま個人の歴史ということなのでしょう。

それは、当初思い描いたものと異なるかもしれませんし、道半ばで潰えるということもあるでしょうが、それの結果そのままが歴史ということで受容するしかなさそうです。

ただできることは、目の前にあること、自分に降りかかってくる艱難辛苦を乗り越えるばかり、あるいは、不意に訪れる幸運を享受するばかり、そういう山あり谷ありを味わうことしかないということです。

また、何かの王者にはなれなかったかもしれなかったとしても、子孫繁栄、大勢の家族に恵まれたとか、海外旅行にはいけなかったけれど、空気の澄んだ土地に住むことができたなど、禍福の帳尻は合っているように思います。

それが、自分の目指すものかどうか、必ずしも合致するとも限りませんが、自分の思いを取っ払ってみれば、案外、人のうらやむような歴史を築いているのかもしれません。

自分も人の歴史を垣間見て、あれのこれのと思うこともあるにせよ、それぞれ、その人なりの歴史を自ずと紡いでいることに気づけたら、また異なる感懐を得るように思います☆