大勢でやいのやいのとやっているうちに、当初目指していたところとは異なる方向に向かっているとか、いつの間にか逸れているようなことはあるものです。
ハワイを目指してボートを漕いでいたら、ハワイ島ではなくてオアフ島に着いてしまうようなことかもしれません。
こういう、普段においてのことでは、それも楽しめるようなことになるかもしれませんが、時と場合によっては深刻にもなってしまうことでしょう。
宇宙の話で、太陽を目指していたけれど、手前の金星で良いやとはならないように、そこはしっかり見据えて、しっかり目指していくのが良いように思います。
ここでいう"太陽"とは、言い換えれば、自分にとっての正解であるばかりでなく、しっかり考えた上での理路にもかなっているような、本質的な正しさの象徴としてとらえてもらえると良いです。
中途半端な、手前で終わらせてもいけないし、他のものに代替しても良くはない、そういう正しさです。
ただ、これが自分にとっての正義ということになると、対する方からはそれは異なる、こちらにも正義はあるのだとなってしまって、にらみ合いが続くばかりで、良い交流が持てなくなってしまいます。
もちろん、多くの人が関わったり、何だかよくわからない勢いにほだされたりして、思うように進めないこともあるでしょうし、そういう"太陽"を見失うこともあるかもしれません。
仕事で利益を上げるのはまっとうだとしても、ひたすら売り上げの金額しか見ておらず、他はないがしろにしてしまうとか、ひたすら勝利にこだわるあまり、目に見えない反則を繰り返してしまう、そういうこともあるでしょう。
それが行き過ぎてしまえば、はて、何のためにそうしていたのかと疑念がわき、当初の目的や理想などからは、大きくかけ離れたことを知るものです。
俗に言う、「お天道様が見ている」、「お天道様に恥じないように」など、そういういつもある正しさを自分でも意識できているか、あるいは、そういう正しさにより近づけているのか確かめると良いように思います。
北極星がいつも夜空に輝いて、自分の目標の道しるべとなっているように、太陽においても、自分の正しさがかなっているのか、時々は空を見上げながら確認すると良いように思います☆