どこに醍醐味

 

単純に考えて、お金はないよりかはある方がうんと楽しい、そう思う人は多いのでしょうか。

少なくとも自分自身においては、生活に必要なだけのお金は必要ですし、願わくば、少し贅沢できるようであれば嬉しいものです。

つまり、ないよりかはある方、あるならば思うより少し多いのを願うということです。

これは、特別思うことではありませんが、ご馳走を食べる、海外旅行に行く、高級車を乗り回すなど、お金があったらできることは多くあるものです。

お金の多いほど、可能性が広がる、そのように言うこともできるでしょう。

そのように、お金が多くあることを望みながら、じっくり考えてうちに、これもただ多ければ多い方が楽しいかと言えば、必ずしもそうではないようにも思えてきます。

たとえば、年収500万円の人が1,000万円になれば、金額は倍増し「やったぜ!」と思うでしょうが、8億円の人が10億円になっても、あまり喜びをひしひしとは感じられないかもしれません。

倍増していないからなのか、あるいは、ケタが大きすぎるのがその理由なのか、詳しい理由が即座にわかるわけではないものの、その満たされなさはどういうところにあるのか、それを考えることは有意義であるように思います。

ないならないで悩ましいし、あったらあったで、そこで生ずる悩みもあるでしょうから、今のうちというか、普段からお金について考えておくのが良いでしょう。

いわば、お金を多く得ることも大切ですが、次の段階では、いかにお金を上手に使うことができるのか、その人なりのセンスを磨いておこうという次第です。

わかりやすいところでは、高級な腕時計や服にしても、何百もあったところで活用しきれないし、ひたすら増えていくだけのものになってしまうかもしれません。

ゴハンもいくらか食べれば空腹は満たされますし、カラダひとつ使える時間は1日24時間となれば、できることの限りはあるものです。

また、こういうものは、お金を使ったらモノやサービスが手に入りますが、それで終わりというか、ある意味では一過性のものとも言えるでしょう。

そうなると使うだけのお金ということになって、余計に心が満たされないということにもなりかねません。

今のところ、個人的には、お金の上手な使い方について、行き着くところは寄付や募金のようなところになる気がしていて、それはまた引き続き、別の機会に考えていきたいものです☆