すべてを撃ち抜きたい

 

何かしら意志を持って取り組む時、打つ手打つ手のすべてが的を射るようにして、ハマっていくことを願うものです。

ある意味では、決して失敗のないように、成功のダーツの真ん中ばかりを射抜くことを願うということです。

道を歩いていて、道ゆく人に声をかけて、その全ての人と連絡先の交換ができるものか、実際にはいぶかしい視線を投げかけられるか、まったくの無視でもって通り過ぎられることでしょう。

「下手な鉄砲数打ちゃ当たる」ということばかりではないけれど、言い方にも工夫し、身なりも整えていって、それで1,000人くらい声をかければ何人かとは交換ができるように思います。

普段、完璧主義であるがゆえに、また、失敗をしたくないと思いすぎるがあまり、行動に移せないということもあるものです。

時には、一度か二度、思い通りにならないことのインパクトを引きずって、悲嘆に暮れるということもあるかもしれません。

ただ、野球のバッターでも、全打席立って3割で十分と言われるくらいですから、普段の生活において百発百中を目指しはすれど、3割〜半分でも当たれば上出来と思うのが良いでしょう。

経営者の話を見聞きしていると、あるひとつの事業のインパクトが大きいあまり、そちらに注目を奪われてしまうものですが、よくよく聞いてみると、20も30もやってみて、それでそのうちのひとつがどうにか軌道に乗ったということも多いものです。

そういうことを思い出しながら、ダーツの的の真ん中を打ちたいと思うのならば、何度でも投げてみないと上達もしないし、真ん中に当たる確率も上がっていかないわけです。

言い換えると、近道を行きたいけれど遠回りしたことで気づくことが多いとか、試行錯誤を繰り返していくうちに光明が見えてくるとか、他の言い回しでも似たようなものはあることでしょう。

七転び八起き、たとえ転んだとしても立ち上がることが大切であるように、一回のことを致命的だと思わずに、少し図々しいくらいでないと立ち向かえないものです。

自分にとって、はじめの一歩と思って、ダーツに取り組むでも良いし、自転車の乗り方、誰かへの声かけなど、それなりの手応えを感じるまで試してみるのが良さそうです。

いきなりジャンボジェット機を操縦するよなことだとひるんでしまうので、それはいずれの目標としておきましょう☆