世界中の70億人とも言われる人々の中で、
自分の存在の小ささをも思うわけですが、
それでも、人ひとりといえども、
余人をもって代えがたいような気がします。
個性とか、性格とかいろいろありますが、
それよりも、身体全体でひとつの生態系というような、
生きるに必要な機構はひと通り備わっていることに、
最近は、ひとしきり感動するようになっています。
食べて(食事)、寝て(睡眠)、出す(排泄)ように、
日が昇ってまた沈むような、大きな繰り返しができるのも、
きっと、こういうことなのだろうと思います。
詳しく観察してみるとわかるのですが、
人は、普段の何気ない動作でも、複雑極まりなく、
いくつもの関節や筋肉、神経などを連動して行っているので、
たとえば「腕を前へ伸ばす」ということだけでも、
相当に、多くの過程を経ているわけです。
つまり、これをロボットに置き換えるというのは、
技術的に相当に高度なことになります。
そして、スポーツやダンスにおいての、
動き=パフォーマンスがわかりやすかと思いますが、
その複雑な動きを複雑に組み合わせ、しかも美しいという、
フィギュア・スケートで言うところの、
「芸術点」、その高さを追い求めるようなことになります。
この人間の限界に挑むような姿勢に心打たれ、
同じようでないにせよ、自分もそうであろうと、
日々の生活や仕事などの活動に戻っていくわけです。
自分は、運動能力がない、運動音痴だと、
悲嘆する人も多いように思いますが、
身長が高い・低い、体型がどうこうでなくて、
全部がある、そのこと自体の貴重さを、
意外とないがしろにしているような気がします。
自分自身への戒めもありますが、
両の足で歩ける、両の目が見えるというのは、
それだけで、"ありがたい"のだと、
そしてまた、それを十二分に駆使して、
自分の持てる以上にどうして発揮していかないのだと、
自分の可能性を押し広げていくことが必要なのだと、
ひしひしと感じてなりません。
そうやって、七転八倒して、汗と涙と血と…、
血は痛そうだから流さないに越したことはないけれど、
そういう流れるものは、いつか結実するものとして、
今を踏ん張っていくのは、美しい姿勢だなと思います。
そうして、少しずつでも良くなっていくのであれば、
まさに誰にも代え難いもの、それが"あなた自身"なのです☆