難解なことを難解に表していくのは、
ある意味では容易なことのように思いますが、
難解なことを、平易に表していくというのは、
もう少し、難易度が高いことのような気がします。
意味ある言葉を、適切に置いていくというのも、
高次での技術なので、会得すべきところではあります。
ただ、閑話休題、無駄な話はさておいてというばかりか、
ひたすら、そういうもので埋め尽くすとどうなるものか、
相当に、意欲的なものになるか、つまらないものになるか、
極端なことになりそうですし、それくらいが興味深くも思います。
現実に則した、真面目な話はもちろん大切なことですが、
そうでないところの話、雑談とか四方山話とか、
あらゆる方面での話ができるというのが良いかもしれません。
そういう、息抜きのようなところでニヤニヤできる相手がいれば、
そうして話す相手の、いろいろな面が見えてくるでしょうし、
お互いを知る上でも、とても楽しいことだなと思います。
日頃、あれこれ見聞きして、考えてみてとしていると、
こうして言葉や文字として残せるのは、果たしてどれくらいか、
多くのインプットに対して、どれだけアウトプットできるのか、
それもできる限りのことをやっていきたい思いもあります。
また、報告とか連絡とか相談とか(ホウレンソウ!)になる前の、
どちらかというと言葉になる前の抱えている気持ちや考え、
こういうものに輪郭を与える上でも、言葉に出して、
まとまりはしていないけれど、今はそうであるというのを、
言外にではなく、発声して伝えるのも有効な手立てかもしれませんね。
音楽の、歌詞を書く作業をする際に、
メロディーに対して、何らかの言葉を乗せる「仮歌」がありますが、
日本語とも英語ともならないような未分化な、
言葉でムニャムニャ〜ラララ〜とすることをやる人がいます。
メロディーだけ、言葉だけで成り立つ表現もありますが、
両者が重なるからでできる表現もあって、
この場合では、メロディーの情感によって、
言葉が、次第に意味を成していくと考えられそうです。
先に声を発する、それが言葉となるという順で、
このあたりを追求していくと"メタ認知"みたいな、
なかなかわかりにくい領域に足を突っ込みそうなので、
そうはならず、平易に伝わる伝わり方を模索していきたいものです。
総じて、上手に言葉にできないことがあるとしても、
紙の上でペンを走らせるように、まずは言ってみる、
それから、しかるべきところに落ち着くのはありそうですね☆