人と人が出会い、次第に知り合っていくわけですが、お互いに性格や考え方の特徴をつかむのに、何をもって「わかった」となるのか、今回はそれについて考えてみようと思います。
履歴書か、もう少しカジュアルなプロフィール欄だかを埋めるようにして、名前・年齢・出身地、職業などを尋ねるかと思いますが、それらを知っているだけでは十分と言えないような気がします。
これはまた、血液型や星座を尋ねることも似たようなもので、あくまでその人を取り巻く状況のいくらかを知ったということに過ぎないはずです。
一応、多くの人と知り合っていくうちに、何かしらの傾向はあるかもしませんが、「埼玉県出身だからこうである」、「愛媛県出身の人ってあれだよね」みたいなことは一概には言えないでしょう。
話の切り口としては良いとは思うので、そういうものを取っかかりとしながら、もっとその人なりのものを知る方がうんと有益であるように思います。
それは、ひとつには考え方のパターンみたいなことになって、こういう時はこうするという、もう少し漠然としたところでとらえるのが良さそうです。
たとえて言うと、絵画の作品にうんと近づいて細部にまで目を凝らすというよりかは、少し後ろに下がったところから作品全体の醸し出す雰囲気やメッセージを感じ取るといった具合です。
元々が前向きであれば、多少の困難があっても積極的に取り組むでしょうし、逆に、心配性であれば消極的なことになるかもしれません。
そして、そういうものはその人のベースになっているもので、何をするにしても何を言うにしても、ベースにもとづいてなされていきます。
自分で自分のことを知ることも大切ですが、周囲の人や新たに出会う人にも知ってもらうことで、もしも上手にコトが進まない場合にあっても、そっと背中を押すようなアドバイスや手助けがあるかもしれないものです。
これはまた、消極的なものは矯正したくもなりますが、それも含めてのその人自身なのだから、それも含めた上で問題を解消するのが良いと思います。
矯正というかは適応なのかもしれませんが、仕事でも何でも、ここはハズせない場合には、「普段自分はこうしているのだけれど、ここの場面はそれではないぞ」という風に考え、しかるべき対応を取ることでしょう。
深いところで大切にしていることや根強く思っていることはあっても良くて、あとはそれ以外の選択肢や応用の術を知っているのか、そちらの方が先にやっておくことのように思うものです☆