それを何と心得る

 

何人かの人で、同じものを見ているはずなのに、いささか異なるように見ているということがあるように思います。

人は見たいものを見るように、たとえ幕の内弁当のように、色とりどりに"おかず"が並んでいたとしても、好物のものを真っ先に見てしまうようなことがあります。

こういうことは、目に入るものということだけでなく、身近な持ち物でもそうで、現代のケータイ電話(スマホ)は、その最たる例のひとつではないでしょうか。

基本的な機能である電話と見るか、メールやLINEなどのメッセージのやり取りのためのツールと見るか、あるいは、動画や音楽を楽しむ端末と見るかで、主な使い方が変わってくることがあります。

さらに個別に見ていくと、Twitterもそういうことのひとつであるような気がしていて、それはどういうことかというと、次のようなものになります。

自分の思ったことや気づいたことを、あくまでメモ的に投稿する場合や、自分のひとまとまりの考えを述べて思考や施策を深めていくとか、他の人からもらったコメントを取り入れてみるのは、真っ当な使い方であると思います。

自分ではあまり発しないけれど、見ていて学びになる人や、興味深い意見を並べる人もいて、電子書籍のように、こちらからは見るだけという使い方でも良いかもしれません。

または、口悪く言葉を投げかけたり、論争の火種を巻き起こしたりして、なかなか剣呑なことになることも、残念ながら最近では増えているような気がします。

同じ言葉を扱うにしても、脳みその活動を活発にするアクセルとなるのか、お互いに傷つけ合うナイフとなるのかは、その人それぞれがどう使っていくかによって、手にするものが変わってくるということです。

こういうことは、自分のモノを見る見方のクセとか傾向であるとともに、自分がどういうものをそこから得たいのかという心持ちによって変化するはずなので、自分はどうとらえているのかを確認すると良いと思います。

健全な意見を交わらせながら、前向きな人たちと交流を持ちたいと思うのであれば、そのような使い方をして、徐々にそれを実現させていくのが賢明と言えるでしょう。

自分自身と世界の向き合い方、自分の場合ではどうなのか、しばし見つめてみることをオススメいたします☆