どちらでも構わない

 

日々の局面、何かを選び、何かを選ばないことで前に進んでいきます。

主体的に、かつ、いろいろと自分の意思を持って判断することが必要なこともあれば、そうでないことも多々あるものです。

極論して「何がどうであっても、どうでも良い」と、あまりに飾らずに言ってしまうと語弊があるものですが、そうとしか表しようのない境地もある気がしてなりません。

たとえば、"カレーライス"と"カレーうどん"のどちらかと問われて、だいたいカレーが食べたければ十分に間に合っていることになるし、もっと突き詰めれば空腹が満たされれば良いので、ごはんかうどんかはそれほど差異はないと言うことができます。

好きとか嫌いとかも持ち出すこともなく、食べることできればそれで良いじゃないかとなるものです。

では、この考えをどのあたりにまで広げていくかということになりますが、大半がそうなると結構気が楽になるのかなという気がします。

着る服で考えてみると、今は秋から冬の時期になって、オシャレすることも楽しめればそれに越したことはありませんが、まずは寒くないように気込めれば良いなとなるでしょう。

その上で、色合いはどんなのが良いなとか、素材はこういうのが良いと出てくるのであって、寒さをしのがないことにはそういうことも考えられないような気がします。

そうやって、必要な分だけの衣食住が足りていればそれで十分という気持ちでもって、それに対するようにして、自分の思い入れのあるところはうんと練り込めるのがコトの順序なのかもしれません。

自分の中で気楽に構える部分が増えると同様にして、他の人の意見や感覚に対しても「どうでも良い」と考えていると、同調もしない代わり対立するようなこともなく、とても穏便に過ごせるかもしれません。

ある意味では、「柳に吹く風」のようにして、ゆらゆら身を任せているだけになるとしても、ポッキリ折れるようなことのない柔軟さを遺憾なく発揮することができるでしょう。

何にも染まらないし、何に染めることもない、単純にそれだけのことになるのは究極の状態かなと思います。

繰り返しになりますが、この境地に立つということは"無色透明"の存在になるということであって、人によっては理解しがたいことになるなということは、少し気にかけておこうという次第です☆