引き立てられる

 

毎度お引き立ていただきまして、まことにありがとうございます云々。

そんな言い回しがあるように、誰かに引き立てられることによって、どうにかこうにか成り立つものですし、むしろそれでしか成り立たないような気がします。

ひとりひとり、その人たちの関わる度合いの深さもありますし、どれくらい多くの人が関わっているかにもよるでしょう。

そして、引き立てられたいかかどうかでは、ほとんどの人が引き立てられたいと思うはずです。

このあたりは、嫌われるよりかは好かれたいと思う気持ちに似ているかもしれません。

ならば、一体どういう人が引き立てられて、そうでない人はなぜなのかを探ることによって、共通するところのいくらかが次第に明らかになることでしょう。

身近なところで見渡してみて、引き立てられている人をさりげなくチェックするとか、どうしていると引き立てられることになるのかを観ていくのが良さそうです。

そして、自分自身との関わりにおいて、こちらのしたことや相手のしたことで、どうなると引き立てたくなるのか、それを知るのも大切かなと思います。

引き立てたくなるのには、応援する、鼓舞することにはじまり、具体的な何かを知らせたり渡したりすることが含まれるでしょう。

そうやって、ひとりふたりでなく、できるだけ多くの人に働きかけることによって、個々の反応や行動の仕方を知るのが良いものです。

その反応があろうがなかろうか、行動をしようがしまいが、それは先日のように「どうでも良い」わけで、良いものがあれば随時見出すというだけのことです。

多くの例を自分にもたらすようにしていくうちに、共通する何か、それも大いに引き立てられることになるものを知っていくはずです。

これも、知るのとやるのは並行することになりますが、知るからやる、やるから知るようにしていくのが良いでしょう。

誰より、自分を引き立てられるような存在になることを目指し、この身でたっぷりと味わっていきたいものです。

ただ、これは誰かを貶めるわけでもないし、出し抜くようなことでもなくて、引き立てたいと思うような人を引き立てるには、自分が引き立てられないことには何も話がはじまらないと思っているからです。

あるいは、お互いに引き立て合うことによって、順々に良いことになっていくのでも良いわけで、何かしらのコツを知っているというのは強みになっていきます☆