ひたすら追っていく先に

 

野球の練習では、千本ノックという方法がありますが、

ひたすら打たれたボールを受け取るという、

どちらかというと、過酷な練習方法があります。

 

イメージとしては、放課後のグラウンドで、

日が暮れて、ボールが見えなくなるほどに、

気力・体力の限界に挑むようなものになります。

 

空手においても、100人と対戦する100人組手もあり、

なぜこういうことをやるのかに関して思うのですが、

1000回やることや、100人とやること自体が良いのでなく、

それだけできるような気力・体力を養うことができる、

それがあるから、やった方が良いような気がします。

 

そこまで大変なことをやったんだからという感覚が、

日頃の練習でも、重要な試合においても底力となり、

もっと高いところへ自分を押しやることができるのでしょう。

 

そうすれば、それまでやった数は実績や感覚としてでき得るので、

今度はもっと多く積んでいこう、重ねていこうとなり、

さらなる増強につながるということになります。

 

そのためにも、どこかで限界に挑むというのは、

今の力量を推し量る意味でも、地力を押し上げる意味でも、

やった方が良いということにつながってきます。

 

これはスポーツや武道、運動競技に限った話でなくて、

普段の仕事や生活においても、あるいは趣味においても、

同様のことが言えるのではないでしょうか。

 

たとえば、営業職の人に当てはまるでしょうが、

たとえば、電話を一日300件かけてみるとか、

一日に10人以上会ってみるとかになるのですが、

契約や結果につながるのとは別のところで、

やり続けるというのは重要かなと思います。

 

自分自身、スクワットにおける1000回〜の世界は、

かつて踏み入れてみたことがあるので、振り返ってみれば、

あれはやはり、そこまで行かないとわからないことがあります。

 

今は少し、仕事における千本ノックをやっているような気分で、

これをやり遂げたいわけですが、本当の意味では終わりはありません。

 

ただ、ある程度のところまで積み重ねた時に見える世界がどんなものか、

少し垣間見たいと言うに留まらず、大いに興味はあります。

 

別のカタチではあるも、

あの時にやれたのだから今もやれるだろう、

やってやれないはずはないという感覚が胸中にあるのは、

密かな頼りとなっています。

 

山の頂はどこまでも高いので、2000mなら2000mの、

富士山クラスの3000m以上、エベレストの8000m以上のように、

それ以上ならそれ以上の世界が待っているのです☆