門外漢としての矜持

 

毎度毎度、ここに書き連ねながら思うのですが、

特に、新たに興味や関心を持つ分野や、

最近見知ったような分野では、

当然のことではありますが、

往々にして、詳しくはないはずです。

 

しかし、それなりに展開していく上で、

決して専門家ではないけれど、

抑えるべきところは抑えているよねと、

そうなるように心がけているのはあります。

 

広く浅くであっても、見抜くべきところ、

そこさえ知れば、十分であるというな、

扇でいうところの、「要」はあるものです。

 

あとは、知らないがゆえに、発想を豊かにして、

嘘はない、しかし、あたかも知っているかのように、

のびのびと筆(タイプ)が進むのはあるかもしれません。

 

わからないことは、わからないと認める潔さ、

そして、本質を知ろうとする心意気を持ち合わせ、

一応、整合性や説得力を持たせるために、

用語や語句、理屈や論理で不明なところは、

不具合がないように調べるようにしています。

 

しかし、思うにつれて、その思いを強くするものですが、

広大な世の中の事柄で、知っている<<<知らないことの多さ、

何たる多さよと、頭を抱えそうにもなるものですが、

それだけ、知ることができるのだと、脳みそを使い切るような、

どこまでいけるのかの、興味もにわかに湧いてくるものです。

 

人それぞれの得意分野はありますし、

どうしても合う/合わないみたいなことはあるでしょう。

 

学校の勉強ということでは、試験の甲乙、合格の是非など、

結果を伴うものでは、楽しむということは難しいかもしれませんが、

それを離れた時には、もう少し純粋な気持ちで向き合えますし、

そうなると、知ることや学ぶことの面白さを見出すかもしれません。

 

自分自身が、学校の勉強と趣味的な勉強とは異なることを、

身をもって体感しているのもありますし、

大人になってからの方が、人生的にはうんと多いのだから、

後者の方をすることを奨励したい思いがあります。

 

または、知らないことが多いから知りたいという方が、

素直で謙虚なものですから、結果として勉強も伸びることになります。

 

知りたいことを知る、知らないことを知るような姿勢や心構えがあれば、

知的な世界はどんどん広がっていくことでしょう。

 

いくつになってもそういう風でありたいと思いますので、

今のここから、はじめていきたいと思います☆