右のカゴ、左のカゴ、どちらに入れるのか、
それはある意味、自分自身の判断に任せられています。
日々、いろいろな選択を迫られ、決めていくわけで、
たとえば、牛乳を飲みたい、飲もうとなれば、
コーヒーを飲むことを選ばなかったということになります。
生活においても、もう少し大きな人生のようなものでも、
あの時にどちらを選んだから、今の自分があるのだし、
場合によっては、悔恨の思いがあるのかもしれません。
常日頃、選択の連続にさらされているうちに、
「隣の芝生は青い」と思うようなことも出てくるでしょうが、
果たして、本当にそれが"青い"のかは定かではありません。
会社でも組織でも、どこかに移りたいと思う場合、
今はその内部にいて、外の様子が魅力に思ったとして、
それが本当に飛び出して、外に出てみた時には、
実際には、外にいるわけでもなく、ただその内にいるだけ、
自分がどこに立っているかの違いになるだけのことです。
そう考えれば、何をしようとも、今いるところでやりきる、
そこが行き詰まったとか、つまらないからと言って、
どちらかというと逃避的に、他に移ったところで、
それだけで何かが変わるわけでもないのは明白です。
結局、また最初から積み上げなければいけないものですし、
刻一刻と年齢を重ね、時間の制約も大きくなっていくものです。
自分の持てるカゴの中に、何が詰まっているのか、
ないものを思うより、あるものを思うことや、
ひとつずつ、自分の中に増やしていくようなことが、
いつの時も大切だということに行き着きそうです。
それはコップに半分残った水を見てどう思うのか、
その考え方に近いとも言えるでしょう。
また、持てるカゴということを、人の器量に当てはめてみれば、
ひとつのカゴを大きくしていくようなイメージで、
一方で、時間を経て得た、さまざまな知識や経験は、
その大きなものの中に、いくつもあるような、
そういうイメージを持つとわかりやすいかと思います。
人間的な魅力に溢れ、知識や経験も豊富とあれば、
そういう人は、どこで何をしようとも活躍しますし、
多くの人の信頼を勝ち取ることも、きっと早いでしょう。
それはどこで何をやるのかは、さほど重要でなく、
選択を迫られる時に、自分の頭と心で決め続けていけば良いし、
その選択の連続が、一枚ずつの紙を積み重ねるようにして、
自分の自信を強めていくことにつながるでしょうから、
誰に委ねることなく、奮起してやっていきたいものですね☆