踏んだら踏んだ分だけ

 

個人的には、それほど運転をする機会が多いわけではありませんし、

特別に車に興味や思い入れがあるというわけでもありません。

 

しかし、現代の生活においては、当然のように普及しているし、

自分自身も運転免許証を保持はしているので、

おそらく、これになぞらえて話を進めるのは、

多くの人にとって、わかりやすいのかなと思います。

 

こと運転をするということにおいては、

安全のためのシートベルトと座席の位置取り、

ハンドルさばき、ミラーでの左右や背後の確認、

アクセル、ブレーキ、クラッチのペダルの踏み分けなどと、

同時に進めることが、実に多いことを知るものです。

 

今回、取り上げたいのはアクセルについてで、

それでも、「銃と薔薇」の"アクセル"ではないのです。

 

由来として、少しは関係があるのかもしれませんが、

字義的には、アクセルは動詞" ACCELERATATE"で、

「加速させる/する」ことになります。

 

ペダルのアクセルも、踏んだら踏んだ分だけスピードは出るし、

その踏み込み具合というのにしても、道路の都合もあるでしょうが、

自分の意思と行動によって、調節ができます。

 

慎重な人であれば、スピードは出しすぎないでしょうし、

スリルを味わいたい人は、逆の行動に出るということになります。

 

こういうところに、人の資質や性格が見え隠れしますし、

そういうのは、他の場面においても同様の判断をすることになります。

 

人間関係、対人関係においては、その距離の取り方やつめ方は、

人それぞれの間合いと好みによって、多く分かれているでしょう。

 

ただ、本当にお互いがお互いを知るためには、

それが知りたいということであれば、なおのこと、

基本的な礼儀を失してはいけないけれど、

人に対しても、踏み込んだら踏み込んだ分だけ、

心を開示して、交歓することができるはずです。

 

遠慮や慎みが美徳とされがちな日本においては、

別の理由や背景もあるにはありますが、

果たして、本当に理解し合えているのか、

少しわからなくなることが、時に訪れます。

 

もしも、自分が相手のことを知りたいとなれば、

それだけ積極的に、相手との距離を縮めていきたいものです。

 

そうやって、踏み込んでいけば知る世界もあるでしょうし、

世の、世知辛さも多少は払拭はされるような気がしてなりません。

 

それでも、安全運転を一方では忘れずに、

今日の道筋を歩んでいきたいものですね☆