点を緻密に打つがごとし

 

ようやく書きたいところまで到達、今日は紙幅の許す限り、

「点描」について述べていきたいと思います。

 

紙幅と言いながら、ここにおいてはある意味無制限、

どこまでも余白はあるので、ひとつの戯言であります。

 

そうして、文字数を費やすのは賢明でなく、

しかし、興味や関心は縦横無尽に伸びていけば、

収集がつかないのは、納得のいくところです。

 

そうして、日々何かを思い、考え抜いたり、

人や書にあたって、教えを乞うたりして、

自分の記憶なのか、心の余白部分に、

ポツッ、ポツッと雫を垂らすようなことを、

自然とやっていることでしょう。

 

まるで、紙の上に、点を打っていくことに似ていて、

スティーブ・ジョブズ氏が語っているように、

「点と点をつなぐ(Connecting the Dots)」、

かつては別々のことが関連性を帯びてくることも、

次第に増えていくことでしょう。

 

それは決して、興味や関心のことばかりでなく、

あらゆる経験や知識というものも含まれるでしょうし、

いくつもの試練や、切り抜けるべき局面にも出会っていきます。

 

最近の、自分自身の感覚としては、

個人における人生を充実していくことにおいて、

全方位的に世界を統べるような試みをしていることに近く、

前述のように、自分の内面に点を置いていく、

そいて、点と点をつないでいくことを、

試行錯誤しながらやっているような気がします。

 

ここにおいて、まさに「点描」が出てくるのですが、

ひとつひとつ置いた点が、少しずつ重なりを増して、

色合いの濃淡であったり、物事の輪郭をなぞっていたりして、

おそらく最終的には、あなた自身が浮かんでくるのだとしたら?

これまでの、あらゆることが、自分自身を成している、

人生という名の、大きな自画像を描いているのではないか、

そんな思いが日増しに強くなっているわけなのです。

 

年連を重ねていくと、「顔が履歴書」だと、

それまでの生きてきた過程、刻んできた歳月が、

表情や雰囲気に表れてくるというものです。

 

そのように考えるとなおさら、何の点をどこに置くのか、

より人生的に関わってくるものであれば、

適当に、チョンチョンとやるわけにはいきません。

 

責任を伴うのは当然ですし、それは負担というよりかは負荷で、

痛みを誘いながら、それでも成長していくには必要なこと、

そこにどれだけ向かっていけるのかが、

結局のところ、自画像=絵として映えるのかなのでしょう。

 

それが展覧会で飾ってあるとしたら、どうせなら前で足を止めてほしいし、

少しばかりの感嘆と、大いなる賞賛が得られる方が嬉しい、

そのためにはどうするのか、目の前のことから逃げずに、

それでも前に向かっていく姿勢が、まさに今、問われているのでしょう☆