ひたすら追求する

 

ある特定の事柄やジャンルにおいて、長年慣れ親しんできて、知っていることは多い、むしろ詳し過ぎるかもしれないと思うことがあります。

最初はよくわからないまでも、毎日のように、あるいは、10年、20年と長年見続けていくことによって、次第にわかってくることは増えていくものです。

そうなると、話せることの多く、誰かと分かち合ったり、意見や知識を交換するようにやりとりしたくなるかもしれません。

確かに、ミュージシャンや役者、スポーツ選手など、気になっていくうちに、彼ら・彼女らのステージや試合を、足を運んで見にいくということがあって、同時に、一緒に楽しめる仲間がいれば、もっと楽しいことになるというのはあるでしょう。

そうなれば、応援やフォローにさらに熱が加わって、まさしく熱中し続けることができるかもしれません。

ただ、自分自身、そういうことの良さを理解し、肌で感じながらも、最終的にはそこはあまり目指していないなと、少し冷めた感じで見てしまいます。

突き詰めれば、これはただひたすら自分自身が楽しみたいだけであって、誰かと分かち合うためにあるのではないという、裏腹な気持ちを持っているのだということに気がつきます。

今までのいくらかを振り返ってみてもそうですし、今の気持ちを推し量ってみても、その気持ちに変化はほとんど見られません。

そうやって、誰かと関わることによって、知識や意見の不足を補うわけでもなく、逆に、そういうものをひけらかすわけでもなく、ただ、個人的に知らないことを知っていきたい、知っていることはより詳しくなっていきたいというだけで、それ以上は特に望んでいないと言えるでしょう。

広く知れ渡るようにして、アピール上手な商人というよりかは、ひたすら技術や技巧を追求するような、寡黙な職人のような気質かなと思います。

または、ひたすら好奇心を満たすために研究を続けるような、そういう科学者みたいなことかもしれません。

いずれにしても、自分にとって未知なるもの、未だ見ぬものに夢中になっていきたいし、そういうものを追い求める姿勢を保っていきたいものです。

時には、会話の端々に出てくるかもしれませんが、それもまた話題のひとつと思ってもらうのが、こちらとしてもやりやすいです。

この世の多く、自分の知らないことばかりで溢れていますから、とかくいつも謙虚にやっていきたいですね☆