何か選択を迫られているとか、どれかひとつに決めるというような場面が、日々いろいろな場面で発生します。
時間ごとに食べるもの、仕事終わりや週末にすること、誰かに会って何を話すとか、ちょっとしたことまで含めていって数え上げれば、途方もない数になることでしょう。
そういう時に、自分なりの何かしら選んだり決めたりする基準があると思うのですが、それは一体どういうものでしょうか?
いつもそうしているからだとか、新しく調べたことにとりかかってみるだとか、自分なりのパターンもあれば、意外なキッカケからはじまるということも多い気がします。
自分でそれができるようであれば、好きかどうか、それももちろん大切なことですが、楽しいかどうかで選ぶのも良いように思います。
たとえば、昼食はいつも定番のカレーライスを食べているとしても、時には、エビフライ・あんかけうどん、レモン添えを選ぶような、よくわからないがゆえに大きな感動が待っているかもしれません。
無難であるというのは、何事も異変がないということで、大いなる安心感があるかもしれませんが、時にはそうでないものを取り入れることによって、未知なるものに対する興奮がわき起こってもくるでしょう。
今は、少なからず知っていることが増えている年齢にもなって、頭で、理屈で考えることが多くなっているのかもしれません。
そうやって、極めて理知的に考えるのも良いわけですが、もっと気持ちに素直にというか、感覚的にとらえるのでも良いように思います。
何が起こるかわからない、それは少なからず不安に思うこともあるでしょうが、その何がどうなるかわからないということが、気持ちはワクワクすることに、あるいは楽しくなる方につながっていくのかなという気がします。
そういう理屈でもって解き明かしてみても、やはり楽しく思うとか、楽しいと感じられるということに忠実になるというのは、良い自体をもたらすことが多いことでしょう。
あらかじめ着地点がわかっていることは、そのまま答え合わせをして終わってしまう感じに似ているでしょうから、良い感じで、どうなるかわからないスリルを混ぜていくのが、もっと楽しいことに近づいていく気がします。
今年の夏も、続く秋以降においても、楽しい方をより多く選んでいきたいものです☆