ひとつ行えばまたひとつ

 

基本的には、昨日の続きが今日で、今日の続きが明日になっていくわけですが、必ずしも同じように繰り返せば良いわけではありません。

昨日より今日、今日より明日と、自分自身の魅力や器量を良くしていくのでもそうですし、何かしらの技量や知識もより身につけていくのが良いように思います。

漫然と繰り返しているのと、繰り返しのうちに向上していくのでは、同じような時間を過ごしていても内実は大きく異なっているということになります。

そうして、少しでも良くなろうとして、その繰り返しのうちに、階段のステップを上がるように少しずつの変化を期待して、日々取り組んでいくわけです。

自分で考えて、自分で取り組んでいくうちに、どうしてもその勢いが削がれたり、上手に進まなかったりしている場合もあるでしょう。

気晴らしということも含め、どこかに行く、誰かと会う、何かを話す、いつもと少し異なることをすることで、また新しい局面に出会えるような気がします。

取り組みの仕方や発想の仕方において、新たな手がかりを得ることもあるでしょうし、今のままで良いと知ることもあるでしょう。

自分の中にあるものでどうにかするのと同時に、他からもたらされるものにも身を預けてみる、そういういくつかを織り交ぜながら進んでいくのが、ひとつのコツなのかもしれません。

それも、そういうタイミングというものは、意図して訪れるものばかりでなく、しっかり向き合って取り組んでいるから訪れるものですし、大きな力づけとして訪れるものでもあるように思います。

自分自身、自分ひとりでやってしまうことが多く、それは自分の感覚が頼れるものと思っているからでもあるのですが、他の人ともっと有機的に関わるのも、ひとつの突破口なのかとも思うようになっています。

それは決して頼り切るということでなく、自分のできることと、他の人のできることを持ち寄って、それで思っている以上の良いものができるようにするということなのでしょう。

このあたりの要諦をいかにつかむのかが、今後の取り組みのテーマの大きなところになるのかもしれません。

紙飛行機が風に乗っていくように、自分でバタついても致し方がない、そういうとらえ方の転換をもたらしてみるのが興味深いところです☆