中国の故事に「隗よりはじめる」というものがあって、
簡単に言えば、良い人材を重用したいのなら、
まずは自分(これが"隗"という名の人)からはじめましょうと、
時の王に進言したことに由来しています。
まずは身近にいる人を手厚く扱うことで、
その評判をそこかしこと聞きつけてきて、
"自分ならもっとやれる"と思うような人が現れ、
自然と優秀な人が集まってくることになるように、
最初から高望みをするばかりでなく、
できることからやっていこうとも受け取れます。
これは、言い換えれば、隣の芝生を青く見ても仕方ないし、
灯台もと暗し、幸せの青い鳥を追い求めるのでもなく、
自分の身の回り、足元からはじめていくことが、
かえって、求めるものが得られることになりそうです。
千里の道も一歩から、ローマは一日にしてならずとか、
似たものを取り上げれば、キリはないのですが、
それだけ、重要な教訓を含んでいるもののように思います。
頻繁に聞くことでもあるし、簡単に思えることだけに、
意外とおろそかにしてしまうのが、人の常であるように思います。
また、この「隗よりはじめよ」は、
自分自ら進んで物事にあたる意味合いでも使われるようで、
本来の意味からは少し飛躍しているようにも思います。
そういう自分からやるにしても、身近なところでやるにしても、
今のいる場所(状況・環境)においてできているのか、
改めて考えてみるのが良いように思います。
そして、ここで良いなと思う発想があって、
何を誰とやるにしても、結局は人間関係に集約されるもので、
自分の理想とする人とのつながりでさえも、
まるで未来を先取りするようにして実践していくべし、
そして、それを大きく広げていくのが良いいうものになります。
自分自身の性格や資質、クセみたいのもひっくるめて、
新しいことをやったから、根本的なところから変わるわけでもなく、
どこで何をしていても、同じように振る舞うことが予想されます。
そこで関わる人自体は変わるかもしれませんが、
自分の、誰かと関わるやり方はそう変わるはずもないので、
誰かの責任にするのでなく、自分で工夫せざるを得ません。
どうせなら、より良くなっていくようにしていくべきだし、
良いと思うことをどんどん先取りしてやっていくのが良いわけです☆