先人の知恵を拝借する

 

多くの人にとって、毎日の生活が良くなるように思い、

上向きだか前向きだかに、奮闘しながら進んでいることと思います。

 

そうして、時間の経過にしたがうようにして、

漸進的に物事が良くなっていくことが、

世の中の全体としても、見て取れるように思います。

 

新しい発想やアイディアが多く出れば、

それだけ、世の中が変わっていキッカケになります。

 

だからと言って、全てが進歩・改善をしているわけでもなくて、

ある一定を行ったり来たりして、繰り返しているものもあるでしょうし、

場合によっては、環境問題や食糧問題のように、

次第に深刻な問題になっているものも見受けられるものです。

 

身近なところで言えば、携帯電話はどんどん便利になって、

一台あれば、相当にいろいろなことができるようになっていますが、

しかし、ほとんどの人にとっては、ただ操作が達者になっているだけで、

次なるアップル社やスティーブ・ジョブズが現れてはいないわけです。

 

そういう意味では、技術開発は驚異的な速さで進んでいて、

操作を達者にする人が勝ち誇っているように見えますが、

また新たな何かを生み出すパワーやエネルギーとは、

少しばかり趣旨が異なるように思えてなりません。

 

新しいというのは、これまでにない画期的ということでは、

それなりの価値を持つのかもしれませんが、

新しいから、そのまま良いとは決めきれないはずです。

 

また、逆にしても同じで、古いから良くない(=ダサい)とか、

時代遅れだとか言うことはできなくて、

もしそれをあてはめて考えてしまうのなら、

古代の哲学や文明は、価値がないということになってしまいます。

 

これは、分野や領域にもよるのでしょうが、

哲学という言葉に含まれるであろう知見や知恵というものは、

人が人として、どう生を全うしていくかについて、

長きにわたって、考え続けられているものです。

 

日本において、学力低下が嘆息を持って取り上げられますが、

こうして、テストで何点取るとか、進学のための勉強をする以外の、

もっと広い射程での学びもまた、実行している人は、

果たして、どれくらいいるのだろうという気がしてなりません。

 

自分がどうであるかというのも大切なことですが、

今の時代を生きるものとしてどうしていくのが良いのか、

考える時間を持つところからはじめていきたいものです☆