「目は口ほどにモノを言う」とか「目は心の窓」とか、
その人が、何を目に映しているのかは、
思っている以上に雄弁であるといいうことになります。
これは決して、たれ目だとかつり目とか、
そういう形状の問題ではなくて、
その向こうにある瞳の様子に関わるものです。
思えば、目の水晶体やら何らやで、
この世にあるものを映し、脳がその像を結ぶという意味で、
目は、驚異的な器官であるとも言えるのではないでしょうか。
それがまた、認識することにも関われば、
見ることによる情報量が大きいことにもなってきます。
そうした目において、自分自身の心の動き方を思っても、
心を開いている時には、視線は真っ直ぐ向かいますし、
向かう相手に対しても、目を見て話すことが多いものです。
逆に、意気消沈していれば、視線はつい足元へ行くし、
心が閉じているような状態では、誰とも視線を合わせない、
自身もなければ、所在もないという心地になるものです。
そうした、視線のやりどころと合わせつつ、
目の奥にあるキラリとしたものを相手の中に見えるかどうかで、
その人が今、野心があるかとか、精神状態がどうであるかとか、
何を語らずとも、意外とわかってしまうようです。
自分の中で、何が起こっているかが、
目の動きで自覚したり、相手に悟られたりするように、
目の動きや使い方を、相手に向かうようにする場合、
一説によれば、本意はどうであるかは別として、
約7秒の間、熱い視線を異性に送ることで、
"一目惚れ"ということも起こり得るそうです。
心が通じ合うから、見つめ合うのか、
見つめ合うから、心が通じていくのか、
どちらが先というわけでもなくて、
心の有り様と目の行き場は連動しているように思います。
単純に言えば、話している人の目を顔を見ましょうとか、
伝えたい人の方を向いて話しましょうとかいう話で、
下を向いていたり、あらぬ方を向いていたりするようでは、
声も言葉も、誰にも届かないことになってしまいます。
世界をどのように見るのかは、個人の自由ではありますが、
親しい人や、愛しい人がいれば、言葉も視線も交わしながら、
より良い交流を図っていくのが良いように思います。
なかなか人付き合いが希薄になっているような気もしますが、
身近なところから「目が合う」ことを、
少しでも良いので、意識してみるのはいかがでしょうか。
これにはまた奥深い知見があるのですが、
それはまた、別の機会にでも取り上げていきましょう☆