もしもとたとえ

 

日頃真っ当に考えようとして、常識的と言いますか、なかなか柔軟に物事を考えにくくなっている場合、「もしも〜が○○だったら」と発想するのが効果があるように思います。

どれほど夢想のようなことでも、また、どれほど途轍もないようなことであっても、それが仮定の話であるほどに、想像がふくらんでいくのではないでしょうか。

わかりやすいところでは、男性であれば女性、女性であれば男性にと、自分自身がもう一方の性別になることを思い浮かべてもらえると良いでしょう。

または、もしも自分がイタリア人だったらとか、アルゼンチンに旅行に行くとしたらなど、実際にかなうかどうかで判断しないのが、これを楽しむコツである気がします。

このような、会話が弾むような話題になることもあれば、もう少し自分自身の願望と照らし合わせながら考えてみるのも良いように思います。

仕事や恋愛で、自分はこのようなことを思っている、こういうことがあると良いなというのを思いつくままに書き出してみるのがひとつあることでしょう。

まずは少し大げさなくらいに思いを広げながら、それで現実に則して考えると、適度な遊び心と適度な真面目さがかみ合っていくように思います。

たとえば、自分が会社の社長となったらどのように振る舞うのか、あるいは、もしも自分が宇宙開発に関わるとしたらどういうことで貢献できるか、できるだけ無邪気かつ純粋な気持ちで出る発想があります。

そこから発想を続けていって、なるほど会社を立ち上げるとして事業内容はどうするか、宇宙開発するためには多大な勉強や資金が必要だ、そのためには今何をして、順序としてどういうステップを踏めば良いのかがわかってきます。

自分が何も思わない限りは、行動を起こすこともありませんし、それゆえ何も具体的には進まないということになってしまいます。

もしもハリウッド映画でデビューできるとしたら、それならば今からは演技や英語のレッスンに励む、映画好きな友人や知人が増える、その一歩一歩をこなすから続いて、いつかはデビューまでの道のりができるかもしれません。

それを大言壮語してしまえば反対や非難もあるかもしれませんが、そこも「もしも願いがかなうのであれば・・・」みたいに前置いておけば、謙虚さとともに願望をしっかり語れるようにも思います。

自分自身の場合はどうであるのか、この発想でもって自問自答していきたいものです☆