続けるにしても

 

何かひとつのことを続けるにしても、今までそうしていたからそのまま続ける、それも有効な考えかもしれません。

毎年訪れる場所がある、毎月行うパーティーがあるなど、続けることで楽しみが増すということもありますし、それを励みに日々過ごすということもあるでしょう。

そういう喜ばしいことを多く思う一方で、何となく続いているようなこと、具体的に何かということではなく、惰性で行なっていることがあるのかなと我が身を振り返るものです。

何となくはじめていることに熱中したり、少しずつ上達したりするようなこともあるもので、無理に手放さそうとすることはしなくて構わないものですが、大概のはじまりは些細なことに端を発しているものです。

そういう、特別な何かを思っていない、それでいて何となく続いてしまっているような事柄では、より精度を高めるとか、何かしら工夫を施すのが良いように思います。

たとえば、トレーニングをするぞと意気込みながらなかなか足が向かないジムとか、英語を流暢に話したいと思っているだけの英会話教室とか、会費を払うだけになっているようなことかなと思います。

そういう意気込み自体は尊いし、通おうと思うのも良いものですが、カラダを引き締めたいこととジムに通うことはイコールではありませんし、英語の場合でも同様でしょう。

ただ、そこに意気込みと行動が伴っていないようであれば、考え直してみるのが賢明ですし、それは本末転倒になってやいないか知るのも大切だということです。

通うことだけで考えるにしても、もう少し近所にあるところにするとか、会費のお得なところに行くとか、予定に組み込みやすい回数や頻度にするということに注目すると良いように思います。

まっすぐ道を行くようにしても、足がテンポよく前に踏み出せない、またはズルズルと引きずるように歩いてしまうのであれば、道を変えるとか、向かう向きを変えることで事態が変わることもある気がします。

季節の変わり目ということもありますし、どうしても時間に限りはあるもので、思うことと目指すこととできることあたりの兼ね合いを取りながら、続ける/続けないということを考えてみるのはいかがでしょうか。

ひとつに絞るでも良いし、少し趣向を変えるなど、今の自分に合ったやり方を見いだせると良いなと思います☆