もしも臨時の

 

もしも臨時のお小遣いなり、収入なりがあって、それを自由に使えるとなった場合、その使い方は人によって当然のように異なるでしょう。

服を買うのが好きな人はどの服にしようか考えるでしょうし、旅が好きな人はどこに行こうかと旅先を考えるはずです。

これはまた、食べることが好きな人であったり、スポーツが好きな人であったら、それ相応の使い方になるということが予想されます。

ここで言いたいのは、どのような使い方が好ましいとか良いとかという話ではなくて、同じ状況であっても、人それぞれに考える使い方は異なるということになります。

たとえ一度ずつに費やす金額は少なかろうが、その積み重ねがあるほどに、人それぞれの生活様式が異なっていくことになります。

自分の場合では、音楽CD、本、服といったものに意識が傾いていくので、CD屋、本屋、服屋に足を運ぶことが比較的多いことになります。

当然、そういうところに頻繁に出入りしていれば、具体的な何かを手に入れるだけでなく、それぞれに付随する何らかの情報を得ていくし、やがては詳しく知っていることにもなっていくでしょう。

ある意味、知れば知るほどに深まるものであるけれど、他のことになるとさっぱりわからないという極端さ・落差も生じるかもしれません。

人によっては釣り棹なのか、ビリヤードのキューなのか、エレキギターなのかといった分野ごとに用いる道具類、あるいは、食事や旅行など必ずしも形のあるわけではない知識や経験になることもあるでしょう。

自分にとっては当たり前のようなことでも、人によっては珍しかったり、奇異に思ったりすることもあるかと思います。

もう少し身近に感じるとすれば、同じ会社に勤めていて、同じように毎月の給料をもらっていることを考えるのが良いでしょう。

まずは衣食住がメインとなるでしょうが、その内容にしても人それぞれの価値観と優先順位があることでしょう。

それに加え、趣味に向くのか、酒代に向くのかもその人次第、それでもその繰り返しがあなたの生活となり、ひいては人生となっていくものです。

何にどのように使うか、それはつまりどう生きたいかということ反映でもあるので、今一度自分においてはどうなのかを知っておくのが良いのかなと思います☆