もちろん相違はあって

 

"人が集まって何をかする"というのは、とても貴重なことのように思いますが、「価値観の相違」とか、「音楽性の違い」とかがあって、やがて進む道を別にする=袂を分かつことも多いものです。

基本的には、人が違えば考え方や価値観が異なるのは当然なのですが、感情の機微としては共感できるところ、似ているところを積極的に見出していきたいものです。

そこで、上記のように"気が合う"ところからはじめるにしてもおそらく割合としてはだいぶ少ないでしょうから、むしろ、お互い「それぞれ違うよね〜」というところからはじめて、それで逆に分かり合えるところを見出していく方が、よほど建設的であるような気がします。

そうすれば、「わからない」ことが前提になっているので、わりに深いところでわかり合えた時の感動はひとしお!ってこともあるかもしれません。

自分の内側にないものを知ることが、視野を広げることにつながるし、たとえ受け入れられなくても、そういうこともあるのかという、静かなひとつの発見にもなるでしょう。

これはまた、本を読むことにも通ずるような話で、本を読むことが大切だとはよく言われますが、そこでどのような本を読むのかによって、その人の考えや行動、さらに今後読んでいく本の傾向もが変わってくるように思います。

そこでも、合う/合わないことがあるように、本屋に行って、自分の行ったことのないコーナーがあれば、手に取ったことのない本も(こちらは)極めて膨大な数として多くあります。

その中には、当然知っておいた方が良い普遍的な知見もありますし、その時々で自分に必要な知見もあって、いかにしてそれを知り得るのか、これは本を読む以前の問題としてあります。

できれば、自分の血肉となるようなもの、読んで感動できるようなものを選んでいければ良いものですが、そうとも限らないのが悩ましいところです。

世の中には、この世の本質的(だと思われるような)なことを、それこそ本としてまとめている人もいれば、大勢の前で話して広めている人もいます。

最近では、ブログやTwitterInstagramなどでも発信が容易にできるのですが、自分の預かり知らないところで有用なことが流布しているというのは、何だか惜しい気持ちにもなるものです。

それはどうしてもタイミングの問題でもあるので、新たなことを知る、あるいは、自分の知らないことを知ることにおいて、何をどう読もう&チェックしようが、少なからず貴重な経験を得ていると言えそうです。

そういう繰り返しと積み重ねによって、こちらから提出できることはいくつかありますが、それがだいぶ伝わりにくいことでもあるので、単純な良し悪しでなくて、伝える工夫はこちらですることになります☆