わけて考える

 

今、世の中で起こっていることは、もちろん自分の身の回りや自分自身に直接降りかかってくるものですが、それがすべて自分の責任とか判断に委ねられているわけでもありません。

責任を放棄するとかそういうことではなく、自分にできることと誰かができることは異なるし、今の自分に必要なことかどうかも、わけて考えられると良いなと思います。

誰かの心配事が、必ずしも自分自身のそれでないように、自分ばかりが悩むようであってもいけない気がします。

やたら心配するでもなく、やたら能天気に構えるでもなく、事実は事実として受け止める、その冷静さが大切だということになってくるように思います。

しっかり考えることや事態を見極めることをしながらも、自分自身の心身を整えていかないと、目の前のこともおろそかになりかねません。

自分の目の前にある問題に対処するとか、身近な人を大切にするとか、些細なことかもしれないけれど、そこからはじめないことには大きなことにもつながらないでしょう。

地球全体、宇宙全体を含むような「世界平和」を希求しながらも、自分の目に映る「世界」も成り立たせていくような、そういうバランス感覚が大切であるように思います。

自分本位にもならず、だからと言って自暴自棄にもならないように、最終的に自分を大切に守れるのは自分自身でしかないはずです。

こういうことも、決して感情的にならず、そういうものだよね〜だと思うのが良いのかもしれません。

それに、「諦める」の語源は「明らかにする」だけのことですから、悲観的になるとか、ヤケになるようなこととは、これまた別の話であるわけです。

それでも、時に心身のバランスが不調の場合は、大きな声を出すとか、カラダを目一杯動かすとかするのが良いでしょう。

口にタオルを当てて声を出すとか、歌を歌うとかもできますし、カラダを動かすのも工夫すれば少しのスペースでもどうにかなるものです。

いつものようにはいかないかもしれないけれど、こういう時だから出るアイディアもあると思うので、いろいろ思い浮かべながらやってみるのが楽しいように思います。

個人的には、お気に入りの本の音読とか、ノドや滑舌にかかわる発声練習に取り組んでいこうと思う次第です。

できないことはやらない、できることはカタチを変えてもやってみる、それで一度お試しあれ☆