ボタンの掛け合わせ

 

気の合うクラスメートでも、同僚でも、一旦知り合ってから、それから何年〜何十年にも渡る交流が続く場合があります。

無論、出会いの機会は上記以外にも多くあるし、それなりに言葉を交わし、出会っているような人もまた数多くいるものです。

その時限りというのが決して悪いわけではありませんが、時間の長さや、あるいはその密度みたいなことを考える時、"長きに渡って続く"のは必ずしも多くありません。

それだけに貴重であるとか、よほど気が合ったということになるのでしょう、これは最初から意図的にできるようなものではないからです。

たとえば、それがビジネス・パートナーになるとか、夫婦のような生活におけるパートナーになるように、より親密な関係になることがあります。

そうなると、相手がいるから自分が引き立つこともあったり、相手がいるから自分の持てる力(やそれ以上)を発揮しようとしたりするのだろうなと思います。

そして、そもそもの出会いをインタビューや会話によって知る時、たまたま席が隣だったとか、少し話してみたら共通の友人がいることがわかったとかいうような、案外ちょっとしたキッカケであることが多い気がします。

最初は、自分にとってどういう関わりを持つ人なのかはわからないものの、いつか一生をともにするようなことにでもなれば、出会いの不思議さを思わずにいられません。

これが直接の「あなた・私」の関係であることもあるでしょうし、本やテレビを介して(やや一方的に)知っていることもあります。

たとえ、向こうは知らなくても、何気なく手に取った本、何気なくチャンネルを替えて観た番組などで、著者や出演者を知り、その後大きな影響を受けることだってあるものです。

いろいろな出来事や生活の変化だけでなく、情報や新たな出会いなど、どれも誰か人がいないことにはもたらされないものです。

それだけに、多くの人と出会っていく必要があるわけですが、ただ多く会えば良いわけではありません。

打算的な関係が長続きはしないように、また、名刺や連絡先を交換しただけではどうにもならないように、先がどうなるかはわからないけれど心ばかりのおもてなしや尽くしていくことは求められるでしょう。

そういうひとつひとつ、丁寧にやっていくことで心通う交流ができるかもしれませんし、他の人の時に、そういう心がけが突如として効いてくるかもしれません。

急がば回れ」ばかりでなくても、出会いそのものを楽しんでいくうちに、また興味深いところまで行くことができるような気がしますし、それを楽しみに待つようにしておくのが良いなと思います☆