もしも自分のことに興味を持ってもらいたかったら、話す相手のことを先に聞くのが良いでしょう。
こうやっていろいろ聞いてくるこの人はどんな人なのだろう、そう思えば、何かと聞き返すことも出てくるように思います。
逐次聞かれたら答えるというのも誠実なもので、おおむね良いとは思いますが、そこで聞き返さないというのは、あーこちらには興味がないんだなと受け取ることになります。
「私を見て」、「私の話を聞いて」と引き込むばかりで出てこない、それだとこちらの興味が失せてしまうものです。
それは私でなくて、他の誰かでも良いでしょうし、本当に誰でも良いのかもしれません。
そして、どれだけ思うかの差はあるかもしれませんが、誰でも良いという向きで思っていると、誰も現れないということになります。
投げかけたものが返ってくるし、思っていることがそうなっていくような気がします。
このあたりの「あなた・私」の力学といいますか、関係におけるあれこれを知っていないと、仲良くなることもないでしょうし、知り合うことも難しいのかもしれません。
あと、先日の投稿でも少し触れているようなことで、自分はこうである、自分の主張を貫くとか、正しさを主張することもあるでしょうが、これは一時の言い合いでは優位に立とうとも、後になってみればそうでないということもあるでしょう。
相手の言い分を聞かないというのでは、言っても仕方ないと思ってしまい、ついぞ自分の意見も聞いてもらえないことにもつながってきます。
それに、こうすると良いのかなと率直に思うようなことでも、言わないでも良いかと済ませるようにも思ってしまいます。
そうなると、もしも状況が異なればこちらの方向に進んでいたことなのに、実は別の方向に向いていたということになって、そうすれば次に起こる事態・事柄もまた変容していくものです。
それが、より望ましい方向、よりステキな方向に延びていくのであれば好ましいものですが、損なわれる方向や取りこぼしの多い方向ではどうにも目も当てられません。
なかなか自分のことがわかるようでわからないし、見えないところも多いもの、その時々振り返って点検をしてみる、そういう殊勝な姿勢や態度が必要だなと思います。
出会う人や向き合う人は自分の鏡、自分においてはどうなのか、少しでも知っていくのが良いように思います☆