中立であってこそ

 

中立、ニュートラルだから、どこにでも行ける。

少し前まででは、自分を車にたとえると、ギアがニュートラルのままでは、前に進んでいない、それはどうにか進まなくてはいけないというように思っていました。

ただ、これも考えようによっては、ギアの入れ方次第で、前に進んで加速することはもちろん、後ろにも進める、そういう自由なところにいるということになります。

場合によっては、そこで立ち止まるということが賢明な判断であるということもあるものです。

これを、他でたとえるならば、ノーアウトかワンアウトで、ただひとり出塁している、二塁にいるランナーのような感じでしょうか。

狙いようによっては、三塁への盗塁もできるし、次のバッターの打球いかんによって、走り出すも、そこに留まることもできるわけです。

これが、ツーアウト満塁とか、一塁にもランナーがいるようでは、バッターが打ったら精一杯走るしかないように、他に選択肢がないのはなかなか辛いものです。

あれはできる、これもできると選択する幅が広ければ、物事を柔軟に判断できる気もしますが、選べるのは"この、ひとつのもの"のみでは、何を選んでいるということもないわけです。

周りをグルリと見渡して、もちろん何らかの制限や制約はつきものですが、それでもできることの多くを数えるようにするのが良いでしょう。

身動きができないようで、案外動ける範囲は多かったり、思っている以上に動けたりすることもあるので、このあたりはやはり、どうとらえるかで見え方は変わってくるなと思うものです。

また、自分自身で確認するのも良いですが、他の人に意見を仰いでみるとか、もっと客観的に見てみるとかすると、意外な発見も多いような気がします。

物事は一長一短であり、表裏一体でもあるので、有利か不利かみたいなことも、少しの程度の差で変わってくるように思います。

走り出したら止まることができない、勢いが増すのは良いと思いますが、そうなると周りのことがよく見えなくなるように、今は立ち止まっているからよく見えている、そういうことも多くあることでしょう。

ギアを入れるにしても、どの段階のものを入れるか、いつどのタイミングで入れるのか、いろいろ見計らっていきたいものです。

そして、選ぶ時にはニュートラルもあると、それも知っておくと良いように思います☆