伍するのは誰と

 

人は人と交流して、仕事や生活、大きく言えば人生そのものが動いていきます。

身近な人を大切にする、これまで関わった人にも思いを馳せるだけでなく、普段どのような人たちと関わっているのか、また、今後どのような出会いがあると良いものか考えを巡らすのが良いように思います。

これは単に関わる人が多いとか、知り合いが多くいるから良いというのでもないところが、実に興味深いところだなと思うわけです。

自分が関わる人がどういう人なのかを知ることが大切で、「類は友を呼ぶ」のと同様に、「友とすれば類となる」こともあるように思います。

自分と同じような気質、雰囲気、考え方など、重なる部分があるから一緒の時間を過ごしたり、行動したりすることになるものです。

これまた、たとえ上記のようなところで重なるところが少なかろうとも、一緒にいるうちにお互いに何だか似てくるとか、お互いに影響を与えるとかすることもあるでしょう。

たとえば、自分がスポーツをして身体を大いに動かしたい、そういう時間を多くしたいというのに、読書会に参加する、裁縫に取り組むとあってはそれはかなわないことになります。

また、歴史の研究をしたい、遺跡や文献にあたりたいというのに、公園でバドミントンをしていては、何をかやるというのかということです。

自分のやりたいことを明らかにしないではいけないのもありますが、飛び込んだ先に自分が馴染むことになるので、何が何でも良いわけではないことを知っておく必要があるはずです。

そういう、先に目的を定めるというのもひとつの手立てでありますが、一方では、素晴らしい人たちとの出会いによって、自分の取り組むことが決まることもあるかもしれません。

この場合では、何をするのかということよりも誰とそうなのかということに重きが置かれ、いつも新鮮な刺激を得られるとか、何を取り組むにも懸命に行うとか、目に見えるところではないところでの良さがある気がします。

いつも楽しいばかりではないし、決して競争ではないけれど、いつも切磋琢磨し合うとか、お互いに叱咤激励して高みを目指すとか、そういう雰囲気が心地好いこともあるはずです。

これも、自分がどのような人になりたいかとも関係があることなので、自分がなりたい人、自分がやりたいことをいつもありありと思い描いて、少しでもそれに近づくことが良いなと思います☆