普段、過ごしていく上で気を配ることは多々あって、
根底には、どのようなことを思っているかで、
目の前のことが変わっていくように思います。
それは、自分自身の言動による反映もあるでしょうが、
どのように見るかということも大きく作用していそうです。
自分自身は、今のままに甘んじてはいけないと思うし、
できることならより良い景色を見ていきたい思いがあるので、
今の見え方は把握しつつも、自分の認識を疑うというか、
また異なるものがあるのだと思っています。
見え方が異なるというのを想像する時には、
他の人ならどう見るかを思い浮かべれば容易かと思いますが、
同じもの、たとえば赤いリンゴを見るにしても、
「これはリンゴだ」と思う人もいれば、
「このリンゴは赤い」、「これはあの品種のリンゴだ」と、
捉え方は人ぞれぞれに少しずつ分かれてくるはずです。
そうでなくても、ふと道端を歩いていて、
そっと咲く花に気がつくとか、空の様子に目を向けるとか、
これが何かに思い悩んでいるようでは目に入らないわけです。
マザー・テレサの言葉のひとつにもあって、
何を思考しているのかが積み重なって、
やがてはそれが運命となっていくものがあります。
それだけ、頭の中にあることが現実に反映し、
そのひとつひとつの積み重ねが自分自身を形成したり、
自分の身の回りの状態を形成したりしているわけですね。
細かく分けて考えていけば、目の見え方、頭の考え方、
意識、認識、感覚、知覚などのようにもできそうで、
何をどのように切り取っていくにせよ、
自分自身の頭と五感をどのように駆使していくのか、
これに集約することができるのではないでしょうか。
こうして学術的にも展開していけそうなものですが、
そして、これらは決して難しいことでもなくて、
朝起きたら、今日の一日を過ごせることを大切に思って、
目が見え、声が発することのありがたみを思えるかどうか、
そっと手を合わせることからできることかと思います。
あるいは、今日をどれだけ楽しく過ごそうと思えるのか、
どれだけ笑顔になったり、周囲を思いやったりできるのか、
それを望まない人はあまりいないような気がします。
こうした小さなことをいかに続けていくのか、
これはもう個人それぞれの心がけでしかないので、
その少しずつをおろそかにしない姿勢が大切です☆