余計なことをしない

 

何かコトを上手にやろうとして、自分自身で考えるばかりでなく、先に上手にやっている人や、物事をよく知っている人に相談することがあります。

または、そういうよくわかっている人が見るに見かねてアドバイスしてくれることもあり、それはありがたく受けるのが良いでしょう。

そこで、まずは言われた通りにやれば良いものの、話をよく聞いていないのかどうか、その通りになっていないことがあります。

単に不注意で、うっかり聞き逃しているのであればまだしも、先に考えを巡らして、勝手に手を加えてしまうことがあります。

たとえば、豆腐の冷奴には生姜とネギ、合わせて醤油を出せば良いものの、やたら凝ってオリーブオイルとか生クリームやイチゴのトッピングをしてしまうようなことで、本来の良さを打ち消しに打ち消してしまっています。

あるいは、具合が悪くて入院している人を見舞って、心休まるようなことや無事を願う言葉をかければ良いものの、その症状の最悪のケースを言って、余計な心配を与えたり、不安に思わせたりすることもあるものです。

当の本人がどれくらい自覚的なのか、しばし問いただしたくもなりますが、そもそも余計なことをしようとおもっているわけではなくて、良かれと思ってやっているとか、ただ何も考えずにやっているということも多い気がします。

そういうあれこれを含んで考えていくと、たとえ常套手段であろうが基本に忠実に、それを突き詰めてやっていくのが先決で、その段階を攻略できたところで、自分なりの工夫を盛り込んでいけば良いわけです。

刑事が事件を調べるには、足を使って聞き込みを徹底的にする、現場を何度も訪れて、見落としがないかを見るようなことです。

そこで、いきなりネット検索をするとか、駅前で演説するようなことはしない方が良いのは、目に見えて明白なことではないでしょうか。

自分のことであったり、普段やっていたりするようなことで、こういう余計なことをしているケースは、思いの外多い気がするので、気をつけていくのが良いでしょう。

いくら歌って踊れる司会者になりたいとしても、先にやるのは発声や滑舌を良くする練習だということです。

それが、人前に出て恥ずかしくないくらいとか、一流に近づいていることを確かめてから、次の段階に進んでいくようにしましょう☆