楽器の調律をするのに用いる音叉では、
周波数ごとに使い分けられているのを知った時、
それほど種類は多いわけではないものの、
特定の周波数では、その周波数でしか反応しないとあって、
目には見えないものの不思議さを感じました。
これは、人と人との「気が合う」みたいな、
発している気というか、エネルギーというのか、
そういう目には見えないけれど、
何かしら感じ取るものがあることと同じで、
似た者同士が出会うことに近いのかなと思います。
そういう生命の振動のようなものがあるのなら、
引き合うようにして出会った者同士は、
「共鳴」しているとも言えるのではないでしょうか。
西郷隆盛の人となりを称して、
「大きく打てば大きく響き、
小さく打てば小さく響く釣鐘のようだ」というのがあります。
もちろん、自分自身で大きく響くことができるのが、
誰の力を借りない点では、良いのかもしれませんが、
たとえ、自分自身が率先して何かをやったり、
何か意見を言い出したりすることができなくても、
せめて相応の反応はできるようにしておくと、
協力を仰いで物事を進めることができるように思います。
そして、相手が強いエネルギー溢れる人であれば、
西郷隆盛もまた、そのような人物として目に映るし、
逆の場合であれば、そうは思えないということになりそうで、
翻って、自分自身のエネルギーの度合いが明らかになってしまいます。
西郷隆盛を相手にすることのみならず、
自分自身がどうであるかというのが、
出会う人や、その人たちの反応によって、
鏡に映るようにしてわかることがわかれば、
そこからさらなる成長なり、改善なりをして、
自分の望む方へ進むのが良いことでしょう。
もしも、これから出会っていきたいような人の、
特徴や共通点、性格といったことまで明らかにして、
自分もそうであろうと思っていれば、
きっと似た感覚を持つ人を引き付けるように思います。
このことを、おそらく簡単に言うのであれば、
むつかしい顔をして、険しい雰囲気を出すのでは、
わざわざ近づこうと思う人はいないでしょうから、
非常にリラックスした状態で、上機嫌でいる方が、
愉快な人と出会っていく確率は上がっていくのは、
結構思い浮かべやすいのではないでしょうか。
そうして、人数の多い少ないところではなくて、
ひとりでもそういう人に出会っていきたいものです☆