「来る者拒まず、去る者は・・・」
物事は、時間とともに流れていくものですが、
目の前を通り過ぎたり、脳裏をかすめたり、
思い浮かぶことの多くは、浮かんでは消えていくものです。
そのひとつひとつを取り上げて、
「はかない」と言ってしまえば、
途端に寂しい気持ちにもなりますが、
今、その時にしか感じることができない、
そういうものも多くあるような気がします。
そして、重要かそうでないかで切り分けて、
多くは忘れ去っていくのだとしても、
その発想の仕方自体は持っていても良いような気がします。
このところ、考えているひとつに、
たとえば、目で見て、耳で聞くように、
いろいろなことを知っていくうちに、
果たして、頭の中ではどうとらえているかは、
人によってそれぞれ異なるように、
もしかしたら、自分の中でも切り替えられのではないか、
そうすれば、また異なったようにとらえられるのではないか、
そういう仮説めいたものが浮上してきています。
発想の仕方、思考の仕方など言い方はいくつかあれど、
頭の使い方として、きわめて論理的に処理するのか、
感覚的に処理していくのかが大きくあるような気がします。
いつも論理的に処理する場合では、
理屈の筋道がスーッと通っていて、
何の矛盾も破綻もないのが理想ではあるでしょう。
それは、ある意味では言葉でもって説明できるもので、
逆に、感覚的に処理するような場合では、
何となくの景色や映像のようなものはあるかもしれませんが、
すべてを言葉ですくい取ることはできないかもしれません。
そのどちらが良いというものではなくて、
これにもっと瞬間的のようにも思う直観をも加えれば、
それぞれをギアを切り替えるようにして、
ひとつひとつに対応していくのが良さそうに思います。
目に見えるものばかりが正解とも言えないし、
気持ちばかり胸中にあるばかりでなく、
外に向かって示すことも必要でしょうし、
いくつもの組み合わせがあるということを念頭に置きつつ、
自分の中で、切り替えられると良い気がします。
自分の中での切り替えと、多く見知っていくことの豊富さと、
双方の組み合わせの多様さがあるほどに、
発想や思考はどんどん広がっていくように思います。
このあたりは、先日も似たようなことを書き記していますが、
結局、今の関心がそこに寄っているというだけであって、
そこにどれくらいの発想が集まっているかだけなのです☆