出会いと別れは、誰にも訪れているものですが、
別れがあるくらいなら、最初から出会わなければ…、
極論を言ってしまえば、自分の中にそういう思いが、
ふと浮かんできてしまうことは否めません。
悲嘆に暮れることのないように努めますが、
少し膝を抱えて、静かにたたずむようにしてみるのも、
普段の快活な状態と対比してみるのも良さそうです。
近頃に限らず、自分がどういう歩みをしてきたのか、
振り返る機会は結構多いように思うのですが、
それも、今後どうしていきたいかの手がかりを得るため、
あの時はこうだったなと、自分自身を事例としているのはあります。
何に向かっていたとか、何かに熱中していたとか、
必ず、その時期ごとの自分の置かれた状態と気持ちがあって、
それが記憶というものに結びついている感覚があります。
時間が経っているから客観的に思えるものですし、
紆余曲折として進んでいる歩みにおいて、
どういう位置付けなのかもも、前後と比較することもできます。
まさに、その時々に出会って、巡り合っている人があって、
一時は近く感じたけれど、今は遠くにしか感じない人もいると、
何だか、時間だけなく物理的にも離れてしまったなと、
今の立ち位置を、足元を見るようにして首を前に倒してしまいます。
"知り合うタイミングがそこでなかったら"、
歴史に「もしも」はないし、今さらどうしようもないわけですが、
そういうことを思えば、その時のリアルでしかなかったのだと思います。
直接なのか、間接なのかは、まさにその時々ですが、
それでも、あの時に出会っていたから今はそう思う、
そう思えるだけの「事柄」があることを思えば、
それ自体が、気持ちの支えや糧ともなり得るので、
決して悲しいばかりではない気がします。
当事者としては辛いと思うこともあるでしょう、
それでも、良かったと思えることも多いでしょうから、
涙に明け暮れるばかりでなく、ここから前に進むための、
確かな心の支えとして、地に足を着けていきたいものです。
毎年、「あの人がここにいれば今年は何歳か」と、
生きていればどうだったのかと偲ぶ人がいるものですが、
またここから、新たにか再びにかの出会いや巡り会いはありますから、
そのためにも心をここに置いて、歩みを続けていきたいものです☆