出力の出る具合を測ってみる

 

日頃、カタカタカタ〜と文字を打っていて、

いろいろなことを取り上げたいなと思うわけですが、

そのひとつひとつに対しての踏み込み具合と言いますか、

掘り下げ具合はどれくらいなのかなと思うことがあります。

 

しっかりと考えたことを、できるだけ不足のないように、

そのまま伝えようとしていることは間違いないのですが、

言いたいことの前段や背景などから丁寧にやっていると、

肝心のところに行き着くあたりで終わりということも、

実際には、結構あるのではないかと思うようになりました。

 

タイトルから内容まで、ある一定のボリュームで収まるように、

それなりのルールを敷いてやっているし、それを優先しているので、

ひとつ区切りをつけて、続きを別にやるかそこで止めるかを選んでいます。

 

文字の多さが内容の充実や豊富さを担保するわけではありませんが、

わかりやすいように例を取り上げたり、何かに置き換えたりして、

どうにか伝わるには、相応の文字数が必要になってくるものです。

 

それも含めると、全体的に手を抜いているわけでもなく、

出力は60%程度で取り組んでいると思っています。

 

そこでは、自分の中に渦巻いている全部を出すわけでもなく、

読んで、少なからず何かを感じ取ってもらうようにやっていて、

軽やかさみたいなのを意識してやっているのはあります。

 

しかし、とことん考えぬくような、

そして、それを表すようなことをして、

自分の中に意識や知識、体験や感覚を落とし込む、

そこでは100%を越えていく気概が大切だなと思っています。

 

そして、自分が気がついていないことや知らないことまで、

どうにかたどり着くためには、穴を地中に向かって掘っていって、

時間が来れば、次にはその続きから再開して、

どうにか地下水脈みたいなものに行き当たるイメージに近いものです。

 

それを、区切って、続きはまたいつの時かとなると、

熱心に掘った穴も、一旦は塞いで元に戻すことに近く、

前回はどこでどれくらい掘り下げたのかを、

つい失念してしまうように思います。

 

これは、普段の過ごし方にもあてはまりそうで、

身近なところは話題にしやすいけれど、

そうでないのは、伝えるにも工夫が必要なものです。

 

自分が何をどれくらい伝えたいかと同時に、

あなたがどれくらい知りたいのか、

それによっての使い分けもあるかもしれません☆