物事を考える時に、具体的な言動についてなのか、
世の中の普遍的なことについて考えるのかでは、
意識の使う部分が、相応に変わってくるかと思います。
たとえば、食べておいしいと感じるのとは別に、
食材は?調理法の歴史と変遷は?調味料の有無は?のように、
同じものを食べるにしても、何を思うかによって、
考える内容、そして、会話の内容も変わってくるものです。
簡易に考えることから、難解に考えることまで、
どれが最も価値があるかということはありませんが、
そのどれにも意味はあると思って取り組むことが、
物事をいろいろな角度からとらえられるような気がします。
そうして、難解に考えることで見える世界もあるのですが、
意識の深いところまで行き着くようなところもあって、
昨日今日会ったような人とは分かち合えないものでもあります。
自分自身、難しく考えるのがクセのところがあって、
最初から、わざわざ混み入る必要もないのですが、
そうすると、会話が成り立ちにくいということがありました。
それが増えてくると、葛藤も生まれてくるものですが、
何かを打破するには、コンセプトで向かうのが良くて、
それによって、自分の意識や行動が規定されるのはあります。
解消するのではなくて、解決に近い発想かもしれず、
しかし、それによる恩恵はきっと大きいものだなと思っています。
場面や状況に応じて異なる振る舞いをするように、
意識においても、階層的に把握することで、
言える/言えないみたいな切り分けがスムーズにいくもので、
問題に直面するからこそ、発想として浮かんでくるわけです。
思ったことは、紙面でも画面でも吐き出す機会を設けて、
それは自分の範囲でやっていけば良いだけのことで、
特に何をお知らせするような必要はないわけですね。
基本的に、日頃過ごしていくには、
上っ面を滑るような軽い会話ではなくて、
当意即妙のシャレの効いた内容が有効かなとも思うので、
そういう楽しさ・面白さを体得するのが良さそうです。
同じ自分一人でありながら、興味・関心の幅も広げるし、
それぞれの知識や経験の深さも同時に得つつ、
それを縦横無尽に組み合わせるのが、
表立って見える時に、総合的な魅力となることでしょう。
重ねて、もう一度取り上げてみると、
自分の中の切り替え、チャンネリングができれば、
向かうところ怖いものなしなのです☆