切り替えの契機とは

 

だいたい、もう何か問題が起こっているようでは、

その前に、未然に防ぐということがどだい無理な話で、

手の打ちようがほとんどないことがあります。

 

何らかの危機感を、少しでも覚えているのであれば、

それに対して必要な対策を打っていかなければなりません。

 

自動車の、エンジンのようなものでは、

止まっているところから、再び動かす時に、

一番の労力・エネルギーを必要とするので、

もしもその自動車を走らせ続けたいのであれば、

その前に、ギヤを落とすようなことや、

燃料の残量の確認、他に不備がないのか点検する、

そのすべてをする必要があります。

 

持てる自分の力を出し尽くすような、

そんな場合には、もっと前の段階で、

しかるべき準備を整えておく必要があります。

 

そして、力を出す時に出せるだけの、

その「やる気スイッチ」のようなものは、

どこのタイミングで入るものなのか、

知っておくのが良いとも言えそうです。

 

自分の場合では、切り替えのわかりやすいものでなく、

あるいは、単にオン/オフがあるようなものでなく、

もっとボタンの多いものかもしれないなと思います。

 

ここは、もっと素直に「やるべきことはやる」の一択で、

ひたすら突き進むのであれば、それはまた潔く思います。

 

自分自身の状況であり、戒めだとも思うのですが、

何となくの一本道を、そのまま来ているような感覚もあり、

その道に乗ったままでいるのか、外れるのが良いのか、

それ自体、よくわかっていないことになっている気がします。

 

たとえば、初心があって向かうべき目標もあって、

その、初心の在り処がどこであるかによって、

心の持ちよう=動機とも言える部分の、

エンジンのかかり具合が異なるのを、

胸中の反応で、ひしひしと感じ取っています。

 

総じて、それは決して諦めていることにはならないのですが、

だからといって、気持ちとやっていることがかみ合ってもいなく、

非常に、不如意な状態に陥っていると思う面があるにはあります。

 

手をこまねき、時間をひたすら無為に過ごすということのないように、

いろいろ思うところはあっても、かみ合わない、

それはなぜなのかと思案するも、限りなくは許されない。

 

要は、自分が見たいものが見える、そのために、

視界が開けるよう、何かしらを打破していきたいものです☆